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狡兎(こうと)死して、走狗(そうく)烹(に)らる。

関西の人は、義経びいきで、
関東の人は、頼朝びいき。
就職してから、東日本の方と知り合うことが多くなり、
関東の人は「頼朝・支持派」が大多数であることに、驚いた。

関西では「悪者」である・笑。(あ、、東北でも「悪者」である)

義経は、京都から身を起こした、スター。
西日本を中心に、大活躍する。

平家を滅ぼした後、
最後、兄・頼朝に追われ、殺される。

 
「走狗、煮らる」のことわざの通りである。

正式には、
狡兎(こうと)死して、走狗(そうく)烹(に)らる。
中国の歴史書「史記」に出てくる故事成語である。

獲物のすばしっこいウサギがいなくなったら、
猟犬は、用がなくなって、煮られて、食べられる。

敵を滅ぼすために、功のあった家臣も、
敵がいなくなった後は、邪魔になって、殺される。

 
こちら、義経のカノジョ・静御前の生誕地と言われる場所。
ひなびた海の見える田舎にある。だーーーれも、来ない。

近くには、小さな集落があり、
岬のギリギリに「開墾」された畑と作業小屋がある。
(これって、昔で言うところの隠し田だよな~)なんて、思いながら、
ぼーーっと、眺める。

人の生活が、自然の風景の中に溶け込んで、一緒に見える場所。。
これが、私にとっての「絶景」です。



古戦場・・・私なら、こう守る。こう戦う。

神戸空港からの出張のとき、
この風景を目にしながら、クライアント先に向かいます。

眼下に広がるのは、源平合戦の古戦場・一の谷。
兵庫県神戸市の西の端。
昨日のブログ「鎌倉武士」が活躍した時代です。

この山の麓と海の間に築かれた平家の大要塞を
源義経が、山上から「逆落とし」の奇襲攻撃をかけて、
勝利を収めます。

(気づかれないように、山の向こう側から、兵を進めて・・・)
(あのあたりから、駆け下りたのかなーー)
(良い場所に、要塞を作ったなあ。だからこそ、油断もできるんだろうなー)
(俺が、平家なら、どう守っただろう・・・)
などと、思いを馳せながら、飛び立ちます。

こうして、
上から見ると、よくわかります。



恥ずかしいことは、できればしない。~名こそ惜しけれ。日本人のDNA

法律や契約に反さなくても、
やってはいけないことがある。
1億円積まれても、やらないこともある。

逆に、
ルールに反していても、やることがある。
損をしてでも、やること。がある。

所詮、
法律もお金も、人が作ったものである。
それを超えたところに、根本的な判断基準がある。
人の根本的な部分である。

船井幸雄会長は、それを
「良心に従って行動する」と言っていた。

私は、
自分のやっていることが、
恥ずかしいことではないか?
筋が通っているか?

その行動や発言を、
あとで、自分の家族、子供が知ったとして、恥ずかしくないか?
自分が同じことをされたら、どう感じるか?を基準にしている。

 
自分一人が、いい思いをしても、
必ず、倍になって、返ってくる。

自分の代で、うまく誤魔化せたとしたら、
子の代、孫の代で、そのツケを払うことになる。

かといって、
決して、聖人君子的な人間ではない。。
でも、Not a Goodman, but a Fineman 的ではあるはずだ。

赤い色の中の文字は「CANCEL 欠航」の文字。

緊急事態宣言下、誰もいなくなった空港を歩きながら・・・
ふーーと、なぜか、そんなことを考える。

「名こそ、惜しけれ」
武装農民を起源とする鎌倉武士=日本人たる所以の精神である。

そうゆうことも、大切にしてきたから、
こんな状況の中でも、ありがたいことに、仕事があるのだ。。と思う。



井岡弘樹のトレーナー エディ・タウンゼントさん

ボクシング好きとなるきっかけは、
中学生のころ、家族が買い物に出かけたお留守番中、
偶然「浜田剛史」の試合を観たことだった。
(・・・・これは、以前のブログにも書いているので、ご参照ください)

そのあと、中西少年、中学3年生のとき、
井岡弘樹が、当時、世界最速・18歳で、世界チャンピオンになる。
その井岡のトレーナーが、エディタウンゼントさんである。
18歳のチャンピオンと、外国人のお爺さんトレーナー。

世界を獲った後、井岡の初防衛戦。
エディさんは、病気にもかかわらず、車椅子で会場へ向かうも、
体調が急変し、病院へ運ばれる。

井岡は、そのことを知らないまま戦い、12回TKOで、なんとか初防衛に成功。
エディさんは、勝利の報告を受けたその夜、天国へ旅立つ。
まるで、映画のような現実に、心を熱くした。

数多くの日本人ボクサーを育てたエディさんの名言をご紹介。

「チャンピオンになれるか、なれないか。それは、ほんのちょっとの差」
人が練習を止めた時、もう少しだけ練習した奴、
苦しくて負けそうになった時、もう少しだけ頑張った奴だけが
チャンピオンになれる。

「負けたときが大事なの。勝ったときはいいの。
世界チャンピオンになったら、みんな喜んでリングに上がりますね。
でもボクならない。一番最後にリングに上がるの。
よかったね、おめでとう、というだけよ。
夜、ドンチャン騒ぎありますね。でもボク騒がない。
ナイスファイト、また明日ね、といって帰るの。
でも、負けたときは最後までいます。病院にも行くの。
ずっと一緒よ。それがトレーナーなの。わかります?」

選手を、愛情あふれる厳しさで、励まし育む人だった。



事業の目的、ターゲットは、誰か??

井岡つながりで・・・

こちら、井岡一翔のおじさん=一翔の父の弟・元世界王者の井岡弘樹さんが、
経営しているボクシング・ジム。
大阪の繁華街・ミナミの外れにあります。

強いチャンピオンなんて、ほぼ、育てる気はなく、
一般向けに、ダイエットや楽しさ・健康を目的とした、ボクシングジムを作り、大盛況となっています!!

ボクシング引退後、スタートした「井岡ジム」には、元々、井岡一翔も所属していましたが、
2013年=一翔・大躍進中の最中、
トレーナーでもある兄(井岡一翔の父)に譲り、
自分で「井岡弘樹・ボクシングジム」を立ち上げたのです。

何たる商才か。。

誰をターゲットにするのか?
自社の事業は、何なのか?
この設定が違えば、マーケットが拡大する。

お手本のような事例である。

※看板のつけ方、立地選定も・・・なかなかのものだ。。



達人の領域まで、なお遠し・・・。

我が師匠は、井岡の姿を。。。

  
「神だ」

と、言った。

「あそこまで、強くなることを極めると、神様の姿になるんやろうねー」

そこまで、言ってもらって、私は、ようやく、理解ができた!
大爆笑で、感心した。

ドレッドヘアは、大仏様や仏像の頭に、そっくりだし、
タトゥは、古来の異国の神を思わせる。

いや、さすが・・・・である。

世の中、広しと言えど、あの井岡の姿を「神」と見た人が、どこにいるだろうか?
さすが、達人である。
(アレをそうとらえたアナタこそ、神ですわ・・・)
恐ろしくて、言えなかったけど。。私は、そうツッコミかたった!笑

 
私の「事実をそのまま受け入れ、肯定的にとらえる」訓練の道、なお遠し。。。

もちろん、すべてが肯定ではない、批判もする。
だが、それは、余程のことである。
批判は、建設的批判を行うものである。



物事は事実を肯定的に。井岡の試合とタトゥー

年末・TV三昧レポート・・・笑
「ボクシング」の部。

井岡一翔と田中恒成の試合は、とても、良い試合でした。
前評判の高い、若き挑戦者の攻撃的なチャレンジに、
ベテランの域になった井岡が、熟練の技で応戦。

結果は、井岡の鮮やかなKO勝利。
敗れたとは言え、田中の前に出る姿勢とスピードには、
大きな未来を感じさせた。
※何回か前のブログに書いた、長嶋さんの三振のようなものを感じた。

井岡と言えば、
連戦連勝・無敵のチャンピオンであったところ、
結婚したオンナで失敗し、意味不明の引退、トレーナーであったオヤジとの決別、
敗戦を経験、、紆余曲折を乗り越えての4階級制覇である。
とても、感動的だった。

そして、井岡の身体に入れたタトゥーと、ドレッドヘアには、驚いた!
今、思えば、日本人ボクサーでは、初めてのことだった。
きっと、眉をひそめた観客も多いだろう。
その後「ルール違反」を、取り沙汰されています。

私は、人も、物事も、
まず、あるがままを「肯定的」に受け入れることを、
仕事でも、プライベートでも、是としていて、訓練しているので、
井岡の姿を見たときの感想は・・・
「おお~~、こりゃ~、どっちが井岡か、わからんなあ~」

若い挑戦者でなく、オッサン井岡のほうが、イマドキの若者っぽい姿で、
田中の顔つきも、若いころの井岡に、どこか似ているのである。

そして、年明け
・・・偶然、我が師と、この井岡の話になった。
井岡は強かった、田中も強かった、良い試合だった。という点では、
もちろん、一致であった。

「井岡の姿に、驚きませんでしたか??」
と、質問したところ、驚愕の返事。。。

さて、師匠は、どんな感想を述べたか?
想像してみてくださいませ。
また、来週にでも!!



リモート難民となることなかれ。リモート難民を作れば儲かる

年末、地元・加古川の高校の同級生との「リモート飲み会」に参加しました。

※ご支援先からは
(え?中西さん、そんなこと、できるの??)
(やりそうにない・・)と、驚愕のお声をいただきますが、、、

できます!ばっちりできます!

たまには、そうゆうことにも、顔を出さないと。
忘れ去られてしまいそうで。。笑

 
飲み会では、バカ話もしながら、
何でも、気兼ねなく、ズケズケと、各業界の動向を教えてもらいます。
「コロナの影響、どう?」
「どうやって、対応してる?」
そして、ついには、、
「みんな、ボーナス、増えた?減った??」なんてことまで、聞く。。

ボーナスについては、
・増えた人は、いない。
・現状維持が、多数。
・減った人も、ちらほら。。

 
面白かったことが、ひとつ。

某・有名製薬会社に勤務する同級生。
その製薬会社は、コロナ禍を追い風に、儲かっている。株価も上昇。。
こちらは、そんなこと、調査済みなのである・笑

それでも「ボーナスは、現状維持」と、申告した。

「なんでやねん!会社、ボロ儲けやないか~!」
「特別ボーナスが出てもええはずやろ?
 わかった!ついに、個人的不祥事を起こしたか?」

すると、以下、彼の返事。。
「俺ら、営業がいなくても、薬が売れるってことが、会社にバレたわ・・・」
「だから、会社は儲かっても、俺らの給料は増えへんねん。。」
「この先、俺ら営業は、ヤバイかもしらん・・・」

つまり、リモートだ、感染が怖い・・・で、営業マンが医療現場に行かなくなった。
それでも、変わらず、薬は売れた。
営業マンの動きが止まっても、売れた。売れる。

だから、会社は、営業にボーナスを出さない。という理屈である。
きっと、彼の危機感は、的確だ。(さすが、優秀な同級生だ・・・)

働く人は、自分でなければできないことを、もっとレベルアップしなければならない。
※以前、このブログでも、リモートワークは「より仕事を厳しくさせる、安易さは危険」と書いた。

会社は、営業に頼らず、売れる仕組みを、考えなければならない。

 
写真は、我が地元・加古川のローカル・パン屋さん「ニシカワパン」の商品。
最近、大阪のスーパーでも売られるようになってきました。
とても嬉しいし、俺も頑張ろう!って気持ちになる。同級生と同じカテゴリーだ。

当時から変わらぬ、名物商品を買ってきました。
神戸~加古川のメロンパンは、こんなカタチです。白あんが入っています。
「白あん入り」を強調しているパッケージは、
「他地域へ売ってやろう!」という意思のあわられであろう。

そして、なんと言っても、アベック!
チョコと、クリームが、一緒になっているから、このネーミングです。
この商品のせいか、
同級生の友人は、男女二人連れ=カップルのことを、今でも「アベック」と呼ぶ・笑



対外的か対内的か。実用品か非実用品か。

高校を卒業し、
京都での学生・独り暮らし生活をスタート。

初めて、自分のお金で買った「高額品」は、
極めて、実用性のない「シャチの写真」

今でも、家に置いています。

18歳の中西少年は、
友人たちと、梅田に買い物に行ったとき、家に何かを飾りたい。。と考えた。
このシャチ写真が気になったけど、、
お金もないしなあ、、迷いに迷って、結局、その日は帰宅。

でも、翌週、もう一度、
一人で、京都から梅田へ出かけてゆき、この大きな写真を買って帰ってきた。

夕日のなか、イルカの親子がジャンプする写真もあり、
ダイナミックなクジラの尾びれの写真もあり、
シャチそのものが写ったものもあり、、
そのほかにも風景写真や、俳優の写真、動物写真も、名画も、抽象画ポスターもあった。

でも、この写真が、断然、気に入った。
「静かな迫力」に、魅了されて、そうありたい。そうなれるかもしれない。。と考えた。 

フランス人形、博多人形、亀のはく製、木彫りの熊、、等々と同じく、
「ポスター写真」は、実用的ではないものである。

でも「自分の内面を支えるもの」という意味では、実用的であり、
それに対して、思いきって、お金を払ったのである、

 
初めて、
自分のお金で、万円以上の商品を買い物をしたことを、
覚えていますか?

何を買いましたか?



1970年代、どの家庭にも、必ずあったもの

1月から、ご支援先を回る出張の連続です。
とある街で、ふらりと入った、味のあるご飯やさん。。

「フランス人形」が飾ってありました。

思えば、、
幼少期、我が家にも、友達の家にも、
ガラスケースに入ったフランス人形が飾られていた。

同じように、博多人形も。

他にも、あのころの家の中には、こんなものが、必ずあった。
・人が来る場所に、シャンデリア。
・壁面に吊り下げられた、タイマイ(ウミガメ)のはく製。
・鮭をくわえた木彫りの熊。
・ガラスケースに入れられた洋酒とグラス。
・誰も読んだことがなさそうな、百科事典の書棚。。

あれは・・・・
何だったのだろうか??

誰も使わない。実用性はない。
でも、ほとんどの家には、置いてある。

何のために??豊かさや、いっぱしの成功のしるし?
いつから、なくなっていったのだろう?
今の時代、これに相当するものはあるのかな??

郷愁漂う、、思い出して、ニヤニヤしてしまう
出張先での晩御飯タイムでした。



真剣勝負とは、相手を取り込むこと

もうひとつ「敵」に絡む言葉を。。

真剣勝負とは、
相手をやっつけることではない。
相手の全てを、自分に取り込むことである。

勝負のための準備
戦いの中
戦後・・・・あらゆる局面で、相手を自分に取り込んでしまう。

それが、真剣勝負している。ということである。

 
真剣勝負を、やったことのある人。
今、している人は、うんうん・・・そうそう!と、わかる言葉。

やってない人、いつも中途半端にしてる人には、
何のことか、よくわからない言葉である。



敵を憎むな。敵を近くに置け。


先日のブログと重なる・・・
映画・ゴッドファーザー3部作より、
観ながらメモした「敵」に関する名言をご紹介します。

「絶対に、敵を憎むな。
 判断に影響を及ぼすからな」

親や先生に、
道徳的・儒教的・宗教的に「憎むな」と言われるよりも、
マフィアのドンに、こう言われたほうが、
スーーっと、納得できてしまう。。笑

・・・・
生き抜く力のある第三者のリアリティある言葉には、説得力がある。

身近にいる社長に言われても、入ってこないけど、
コンサルタントに言われると、スーーっと、納得してくれる社員もいる。
これと同じだ。
目指せ、マフィア・コンサルタント・笑

 
もうひとつ、
「友は、近くに置け。
 敵は、もっと近くに置け」

敵たる存在を、自分の近くで登用する。
把握しておく。そのような極意である。

・・・
何年も前に観た映画、
何年も前に読んだ本でも、
今の自分に響くシーンやフレーズは、全く違っていることがある。

いわゆる名作。ロングセラーには、こうゆう点がある。
自分のコンサルティングも、著作も、かくありたい。。



マグロ漁師と、ゴッドファーザー ~相手を知り、相手になりきる

年末、必ず観てしまうTV番組が・・・
もうひとつ、ありました!!

「大間のマグロ漁師もの」です。

写真は、、マグロ番組好きなら、誰でも知ってる「山本さん」である・笑
もう、めっちゃ、いい人なんだけど・・・
発言を聞いていると、ヤキモキするのである。

「歩いていれば、いつかは当たる」とか、
「釣れたのは、偶然だ」とか、、
(ダメダメ、そんな考えだから、釣れないんだよーーー!)って、TVにダメ出しする。

同じ大間で、大儲けしている漁師さんは、ちょっと違う。
・一本釣り以外の漁の方法を学ぶ。
・最新の魚群探知機を装備する。
・マグロを高値で売るための、巨大な貯蔵庫を備えた船を建造する。
・気温、月の満ち欠けによって、潮の流れを予測して、待ち伏せする。
リスクを伴う設備投資と、学び・分析・技術を、備えているのである。

そして、この儲けている漁師さん言ったことが、素晴らしい。。
「マグロを知ること」
「マグロの気持ちになること」が、獲れるコツだと。
俺がマグロなら、ここへ行く。。と予測するのである。

時を同じくして・・・正月休み、
映画「ゴッドファーザー」3部作を、まとめて観た。

アルパチーノ扮する2代目「ドン・コルレオーネ」が、
奇しくも、儲かるマグロ漁師さんと、同じセリフを言った。
「俺が父親(1代目)から、学んだことがある。
 それは、相手の気持ちを考えることだ」

道徳的に「相手の気持ちになれ」と言っているわけではない。
社会で、生き残るためには、
「相手の気持ち」にならなければならないのだ。
だから、この言葉に価値がある。

マフィアの成功のコツも、マグロの成功のコツも、
人生成功のコツも、きっと、同じである。



2021年。。恩返し&倍返しで!

新年、あけまして、おめでとうございます。
本年も、よろしくお願いたします。

昨年は、未曾有の危機が全世界を席巻しました。
このようなときこそ、
コンサルタントの本領・真価を発揮するとき!と、
これまで以上に、クライアント様のために、できる限りの動きをしてきました。

葬祭業界においても、
一気に時計が進み、変化があわられました。
平均単価が大きく下がるなかでも、
売上・利益を、しっかり残していただいてるクライアント様が、多数存在しています。
これは、私の大きな自信と励みになりました。
本当に、感謝しかありません。

一方で、残念ながら、
ややプラス程度の実績しか残せなかったクライアント様も、存在しています。
もちろん、商圏状況や、売上構造、
ご契約からの経過年数にも、よりますが、
大きな違いは
「実施すべき施策を、現場でどれほど濃く実施していただいているか?」ということにありそうです。

コロナ渦中で勝ち残るためにも、
コロナ明けの反転攻勢に向けても、
さらにレベルアップしたご提案を行いますので、本年もよろしくお願いいたします。

・・・・

三菱UFJ銀行の頭取が、リアル半沢氏になったことですし・・・
恩返しと、倍返しで、臨みたいと思います。



優秀な人材を求め、飛躍をはかるチャンス到来

今年も、ご支援先での仕事は、
年末ギリギリ29日まで。。

昨年は、31日まで、ご訪問していたから、
少しは、マシになりました!
あと、少し・・・頑張ります!!

 
こちら、大阪市内の求人情報誌・タウンワークの今。。

約50ページ前後である。
明らかに薄くなっています。

ピーク時の3分の1。
通常時の2分の1・・・といったところ。。

※以前、このブログで、タウンページ求人について、
 ちらっと書いたことがありますので、ご確認を。

今、コロナのおかげで、明らかなる買い手市場です・・・
飛躍のための優秀な人材を探すなら、
今から来年にかけて・・です!



戦力外になる人の共通点は、すぐ目先を変えること

秋から年末、
12球団では、戦力外通告が本格化してきます。

毎年、戦力外の記事には、いつも見入ってしまうのです。

年末のTV番組「戦力外通告~クビを宣告された男たち」は、
何年も連続で観ている。
私の年末の風物詩である・笑

自分に重ね合わせ、
今「戦力外」になっていないことに、束の間の安心を得る。
そして、これから「戦力外」にならないように、
ふんどしの紐を締める気持ちになり、新年を迎えるのである。

 
最近、ネットニュースに、
中日で21年間もプレーした名選手・森野将彦さんが、
数多くの先輩・同僚・後輩を見て、
「戦力外になる短命選手の共通点」を挙げていました。要点をまとめてみました。
↓↓
戦力外になる選手に共通するのは「逃げ」の姿勢である。

ひとつの事をやってられない。何かすぐに変えてみようとする。
探究心があるという見方もできるかもしれないけど、
結局、何かを極めようとしない。

壁にぶつかると、まず目先を変えてみる。
懸命な試行錯誤にも見える一方で、
それは、安易な「逃げ」につながる。

最初の3年で、どこまで基本の土台ができたかで決まる。
その後の4~6年目で、ある程度勝負できないと、早く終わる。
↑↑

「彼らの普段の練習の姿勢を見ていれば、すぐわかる」とありました。

・・・・
新しい世界へ入った人は、
ひとつの会社で3年間は、必須事項である。
その会社で、基本と仕事の1分野を極める。

社会的「戦力外」=収入が増えない人は、
会社も、職も、3年もたずに、逃げる、
6年以内の勝負もせず、コロコロ変えるのである。



無頼(ぶらい)なれ、君よ。君が君であるために

江夏投手の系譜。。
15年前、こんな本を買っていた。
本棚から、ゴソゴソ引っ張りだしてきた。

定期的に、取捨選択され、定数を維持されている、私の本棚に、まだ残っている。
ということは、
気になっているのである。
いつか、読み返そうとしているのである。

表紙には、
若かりし、江夏投手が、王選手から、
シーズン354個目の三振を奪い、日本最多記録を達成した瞬間の写真。
日本記録は「王から獲る」と公言していたそうである。

王に対しては、毎回、力の直球勝負を挑んだため、
王から最も多く三振を奪った投手は江夏(57個)だが、
江夏から最も多く本塁打を放った打者も王(20本)である。

無頼派。。として、
魅力的な野球選手の名前が、書き連ねられている。

「無頼」という言葉には、
定職につかないならず者。ごろつき。という意味がある。
一方で、戦後の文学界で、派閥に属さず、
人間臭さを作風とする文豪たち(太宰治、坂口安吾、織田作之助、石川淳)を
「無頼派」と呼ぶ。

その漢字が示す通り、「頼らず生きる」という意味がある。
組織や体制に、頼って生きるのではなく、
自力で実践的な工夫を凝らし、道を切り拓いてゆく、
自主自立の精神を示す言葉である。

私は、その「業」に対して、
真摯で、素直で、一途で、貪欲なプライドを持った「無頼派」を、
このうえなく愛している。

ちなみに・・・
アリス再結成時の曲「BURAI」は、お気に入りの1曲である。

ちなみに・・・
無頼派は、総理大臣とステーキ会食は、できない。
グレートな無頼派を目指そう!



豪快さと繊細さと、真摯に取り組むアウトロー

昨日のブログの続き。
美しい三振を奪った側・江夏投手について・・・

大阪学院高校から、阪神に入団し、1年目から剛腕投手として、
巨人の王・長嶋に立ち向かい、
故障後は、投球術をもってリリーフに転向。
あの「江夏の21球」の他にも「オールスター9人連続三振」など、数々の伝説を持つ。

中西少年の記憶にあるのは、
我が近鉄バファローズの前に立ちはだかる、広島時代の江夏。
その後、すぐにパリーグにやってきた日本ハム時代の江夏である。
なんとも、とにかく憎たらしい存在であった。

球速は速くないはずなのに、、
なんだか、上から見下ろして投げて、抑えてしまうのだ。

※この時点で30歳である。。恐ろしいまでの風格が漂う・笑。

現役時代は、首脳陣やマスコミとの確執を取りざたされ、、
一匹狼と表現されたり、豪快で、太々しく描かれることが多い。
現役引退後は、覚せい剤使用、逮捕歴もある。

そうゆう不祥事があったから、
球団に首脳陣として、招かれることはない。
全国ネットのTV解説にも出ない(出してもらえない?)。

が、大阪ローカルの野球中継では、解説をしている。
解説は、とても、面白い。
論理的に、本質をズバズバ言ってくれる。
そして、
江夏さんは、どんな選手を呼ぶときも「○○君」と呼ぶのである。
聞いているイメージとは、全く異なる性格が垣間見える。

最近では、先日のブログの桑田さんも、解説のとき、選手を君付けにする。

ずいぶん以前、誰かのエッセイを読んだことがある。
いわゆる「コワモテ系のスポーツ選手」の発言を、
スポーツ新聞や週刊誌などマスコミは、一人称を「ワシ」として、文章にすることが多い。
「この場面、ワシは、三振を狙ってアウトをとることしか頭になかった」とか。
江夏豊は、その代表格である。(最近では、、やはり、清原か・・・)

しかし、江夏さんは、自分のことを、ワシと呼ぶのだろうか??
投球や野球への姿勢を見る限り、そうゆう人物には、見えないし、
取材や文章でも、ワシを聞いたことはない。。という主旨のエッセイであった。


本当に一人称を「ワシ」と使っているのは、
以前のブログにも登場した、川藤さんくらいのものだ・笑

ここからは、私の想像の域。。
江夏さんは、野球に対して、真摯で、一途で、素直なんだろう。
鈴木啓示、藤本義一監督、村山実、王貞治、野村克也、衣笠幸夫、大野豊。。
一流選手との出会いによって、どんどん成長を見せる。

最後は、36歳で、単身アメリカに渡り、
メジャーリーグに挑戦するが、マイナーまで。そして、そのまま、引退する。



美しい三振。ガッツ&無残・・・どちらも素敵

いかん、いかん、
何故だか、野球愛が、とまらない。。笑
あと・・・
ひとつ、ふたつ、続けたい。ご容赦を。

ご支援先のなかに、野球好きの社長がおられて、
必ず、コンサルティング中のうち1時間くらい「野球」の話になる。

晩年は「フィールド・オブ・ドリームス」のように、郊外に野球場を作り、
そこの管理人をして、過ごしたいそうである。。
何とも、ロマンチックです!
「夢」の一部をお手伝いさせていただいていることに、誇りとやりがいを感じます。

そんな話を聞いたせいか、野球の話が続く。。

 
先日「ホームランを打たれた、最も美しい写真」として、
2年生の桑田投手を、紹介しました。

今回は、打者の立場から、
「最も美しい三振の写真」について。

野球ファンの中で語られる、
「最も美しい」とされている三振写真は、こちら・・・・

長嶋さんの現役時代の三振である。

立教大学から、鳴り物入りで、巨人に入団。
ルーキーイヤーのデビュー戦、あの金田正一投手から、4打席連続三振を喫する。
しかし、金田さんは、長嶋さんの積極果敢さ・気迫・スイングスピードから、
この初対決のルーキーに「怖さ」を感じ取ったそうである。

失敗するにしても、
このくらい正々堂々、気迫を見せての、失敗したいものである。
部屋に飾っておきたくなるような「勇気をもらえる」1枚でもある。

しかし、長嶋さんの三振は、
かっこ良過ぎる・・・笑

私は、無念さが滲み出る、
情けないくらいの三振らしい三振が、良いのです。
そこで、推挙するのは、この三振。。

1979年の日本シリーズ第7戦、近鉄対広島。。
有名な「江夏の21球」の最期の打者・石渡茂さんの三振である。
スクイズを、カーブの握りで外された、有名なシーンの後、
2アウト・2ストライクと追い込まれる。
しかし、ヒットが一本出れば、逆転もできる場面。
で、
江夏のカーブに、絵にかいたような腰砕けの三振をしてしまう。。

近鉄ファンであった少年時代は、「カーーーッー!!」と、
見るのも嫌なシーンであったが、、
今は、とっても味わいある、ナンバーワンの三振だと思っている。



桑田真澄、高校2年生の旅

木内監督への追悼番組で、
1984年の夏、
取手二高に敗れたPL学園・桑田投手(桑田真澄さん)のコメントが流れていました。

取手二高の選手たちは、
三振したのに、なんで歯を見せて、笑って、許されるんだ??
グラウンドで、笑うなんて、PLの野球の常識では、許されなかった。。
そうゆう野球に衝撃を受けました。と。

実は、
この話には、
あまり知られていない裏話がある。
書き留めておきたい。

高校2年生の桑田投手は、決勝戦で、取手二高と対戦し、敗北する。
三振しても笑って、ベンチに帰る。
外野フライを打っただけで、大騒ぎで喜んでいる。
そんな野球に負けたことが、不思議でたまらず、
その年の秋、
PL学園の寮を抜け出して、
取手二高へ行ったのである。冒険心、好奇心もあっただろう。
PLでは密かに大騒ぎになったそうである。

茨城で、学校を見て、練習を見て、
選手の家に泊まり、親交を深める。

桑田は、振り返る。
「同じ山の頂点を目指すのにも、
色んなアプローチの方法があることを知った」と。

高校二年生にして、
この行動力と大胆さである。
後のプロ野球での活躍も、うなずける。

故・野村克也監督は、
以前、桑田投手をこう評していた。
「この人は、どこを切ってもプロ。プロ中のプロ」と。

ちなみに・・・桑田投手が、
1984年、夏の甲子園で決勝ホームランを打たれたこの写真。。

私は、投手が打たれた写真のなかで、
もっとも印象に残る、美しい1枚だ。。と思っている。



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