top > 成功法則かも!?


桂文枝(旧三枝)さん/「歴史」に名を残すこと

「新婚さんいらっしゃい」の司会で、お馴染みの
桂三枝(現在は「文枝」を襲名)さん。御年80歳。

テレビを通しての芸人としての面白さは、
それほど感じませんでしたが、
ここ寄席の会場「大阪天満・繁昌亭」に来てから、その凄さを知りました。

【噺家の活動の場を作る】
大阪で50年以上、途絶えていた演芸場。
「大阪の落語家が、噺せる場所を作ろう」と
上方落語協会の会長に就任した三枝師匠が中心となり、活動をはじめて、実現した。
大阪天満宮は、大したもので、境内の敷地を無償で提供した。
2005年、有志の募金により建物が完成。

【創作落語の第一人者】
江戸時代から続く「古典落語」だけでは、諸先輩には勝つことができない。と、
創作落語(現代の世相を取り入れた落語)を320本以上、作っています。
その創作落語の出来栄えが、本当に素晴らしい!
わかりやすくて、面白い。
そして、クライマックスのオチの直前に、
ほぼ毎回、ホロリとさせる人情噺も入れてくる。
いつか、これが「古典」となるのではないか?

【お弟子さんの数】
大相撲と同じく「一門」というものがある。
桂の中にも「米朝一門」とか「春団治一門」「文枝一門」・・等々
笑福亭、林家、春風亭、立川、柳家、古今亭。。。
真打ちの噺家さん、その本人の「面白さ・巧みさ」と同時に、
「お弟子さんの数」×「真打ちクラス」の実力者を輩出する土壌。
その関係性を探っていると、飽きない。
まだ、良くわからないけど、
人材育成に通じる「何か」が見えてきそうだ。

 
登場(出囃子の曲とともに高座に向かう)シーンでは、
悠然と全身を見せつけるように、立ち、
毎回、中央の「楽」と書かれた額に一礼してから、高座に上がる。
ナナメ後ろの席に座っている爺さんが、
「もはや、神々しいなあ」と、唸っていました。

番組の一番最後を飾る「真打ち」以外の噺家さんは、
こうして、出口で、触れ合うことができます。
ほとんどのお客様は「ありがとうございます」とか、
せいぜい「また、来てくれたんですね」という、挨拶ですが・・・

私は、質問や言葉を用意して、
ちょっと話しかけるようにしています。

つまるところ・・・
文枝さんは、【歴史に名が残ること】をしている。
それが、かっこいいなあー。と、発見できました。
知名度・人気・カネ集めでなく、死後100年残るもの。
今さらながら・・・ですが。
その道の達人が元気なうちに、生で感じることができて、良かった!



「大人の階段」を考える。男の場合、経営者の場合

男が成長するための「大人の階段」
その「踊り場」的なことを、偏見のもと、まとめてみました。
きっとH2O(エイチツーオー)も「ここまで考えてくれたのか!」と喜んでくれるはずだ。

1)大事にしていたおもちゃを捨てる。あげる。
2)父親にマラソンで勝つ、腕相撲で勝つ(勝ってしまう)
3)親族が死んで死体を見る。ホカホカ・サクサクのお骨にふれる。
4)親戚のおじさんたちと野球の話題で対等に会話する。
5)(ピーーーーーーー)コンプライアンス規定違反・その1、以下を省略。
6)親戚の子供に、お年玉をあげる。
7)受験戦争、部活鍛錬を体験する。
8)仕事で成果と収入が連動することを知る。
9)保険に入る。
10)2)の逆を体験する。
11)娘が彼氏を連れてきたとき、対応する
12)ガン等で入院する。
13)オレオレ詐欺の電話がかかってきて、対応する。
14)死に様を、孫に見せる。最期のレッスン。

「一人で寄席に行く」
「オレは漫才では笑えない、落語の面白さがわかる」と言いきかせるようになる。

11)と12)のあいだくらいに、これを、付け足そうかな?

2019年の浅草演芸場、体験以来、
ヨシモトの漫才や新喜劇よりも、こっちの分野が、気に入っています。
https://sousai-keiei.com/nakanishi/blog/2019/08/25/

寄席では、私は、最年少クラス。
ほぼ年寄りばかりで、トイレが近い&キレが悪いから、
中入り(休憩時間)は、トイレが大行列になる。
所定の休憩時間では、とても収まらない。
会場側も、「みんな終わるまで、始まらないから、大丈夫ですよー」なんて、
お年寄り扱いには、慣れたものである。

私は、着実にジジイ化している。
大人の階段をのぼっている。
この階段の先にあるのは、天国か、地獄か?

そのうち
「歌舞伎を観たい」とか「茶を点てる」とか
「お遍路旅に出る」とか「出家する」とか、言い出すかもしれません。

以下、参考までに、
オーナー経営者や、本物の幹部の「大人の階段」の踊り場みたいなところ。

・ヤカラ(輩)者から、大クレームを受けて処理する。
・税務署がきて、対応する。
・労基(最近なら退職代行、最悪はユニオン)がきて、対応する。
・従業員が不正をして、始末をする。
・資金繰りが一時的に困難になり、自分の給料や保険を会社のために使う。
・撤退戦(閉店、事業閉鎖)を体験する。
・大企業、国、大家(=資本と権力)。及び先代からの理不尽を、グイッと飲み干す。



大二病。面接の新提案

中二病と同じように、
大学二年生から、かかる病気「大二病」というのもあるらしい。

A:社会のあり方について、SNSにコメントしたりする。
B:現代美術やアート、クラシックなどに、触れたがる。
C:一人でカフェにいること、一人で旅に出ることに、酔う。
こんな特徴があるそうである。
上記、A~Cには、全てあてはまらなかった。

別のある本には、こんなことも書いてあった。
1)部屋に「チェ・ゲバラ」のポスターを貼る。
2)関西弁を使う。
3)カラオケで「バンプ・オブ・チキン」を歌う。

2)もともと、関西弁である。
3)私の大学生当時の「バンプ」といえば「ダ・パンプ」だった。
「チキン」のほうはいなかった。
どうゆうことだ?
調べてみると、バンプ・オブ・チキンは、曲の中に
「オー・イエー・アーハン」というシャウトが、多いそうである。
そして、歌詞や曲調には、
「人間は1人で生まれて死んでいく、そんな絶対的な寂しさがある。
それでも、誰かと分かりあいたいし、手を繋ぎたい」
そうゆうメッセージが一貫して存在するらしい。
大二病にかかっている子は、目を細めて、バンプを熱唱するそうである。

問題は、1)である。
これは、思い当たるふしがある。

大学3~4年のときの部屋の中である。
ゲバラはいない。
が、
ジェームス・ディーンがいて、
坂本龍馬がいて、
トウカイテイオーがいて、
矢沢永吉タオル。
そして、
自分もしくは、友達が書いたと思える「謎の手書き」画用紙・・・
「二兎追わねば、二兎を得ず」
「押してもダメなら、もっと押せ」

これは・・・・ある種、テロリストの部屋である。
明らかに危険人物だ。

就活のとき、人事部に見られていたら、
きっと、誰も採ってくれなかったに違いない。

ただ、一生懸命、何かになろうとしていたことは、理解できる。
空想や恋愛の世界=アニメ・フィギュア・アイドルに生きず、
歴史とリアルに近い場所で、足りないものを埋めるべく、生きようとしていたこと。
それだけが、せめてもの救いである。

入社試験では、リモート面接を、おすすめする。
そして、下記、項目を入れてみてください。

「自分のお部屋に移動していただき、中をぐるーっと映してもらって良いですか?」
本人の奥底が、見える可能性が高い。



恐ろしい中二病。後遺症に苦しむ50代

「中二病」とは、
自分をよくみせるための背伸び。
自己顕示欲と劣等感を交錯させた、ひねくれた物言いなどが典型で、
思春期特有の不安定な精神状態による言動。
とのこと。

●アーティストが売れると「売れる前から知っている」と主張。
●洋楽を聞き始める。
●独自のファッションを好む(眼帯、包帯、黒づくめ)
●「何か」になりきる。空想の世界を、現実に持ち込み境がなくなる。
●ほかの人と違う、自分のマイナー趣味をアピ―ル。
●「でも」「っていうより」「いや、違う」などの言葉を多用する。
●オラつきたがる。本人にとっては「かっこいい」つもりで、注意してもムダ。
●ポケットに手をつっこむ。ちょっと反抗的でワルっぽく見える。
●ケンカしたことないのに、ケンカじまん。
こんな具体的特徴があるらしい。

自分を振り返ると・・・
・人と異なることを良しとする。
・想像の世界に生きている。あたりは、当てはまっていたなあ。
オラオラ系ではなかったはず。
やっぱり、当てはまっている。いわゆる思春期というヤツである。

ベストテンの流行歌でなく、佐野元春。
それに、ハウンドドッグや聖飢魔Ⅱを、見つけてきて、聴くのである。

ダウンタウンは、TVで観るのでなく、
深夜ラジオのほうでトークを聴くことに価値を見出す。

通学路は、別の独自ルートを日によって変える。

あぶない刑事、を好きになり、
スタイリッシュで、ユーモアがあり、仲間が自立かつ連合し、
多少、上司の言うことを聞かなくても、
本質的な成果を上げることができる、とういう人間に憧れをいだく。

中二病は、恐ろしい。
「後遺症」が、ずーっと続く。
自分を含む、オッサンどもを見ても、未だ中二病の後遺症の中の人、多数。
人格を形成する大切な時期と言える。

↑↑
また、懲りずに、観に行こうとたくらんでいます。
『大丈夫、俺たちは成長していない』だって。。その通り!

だからこそ「思春期」と言われる中学生で、
どんな音楽に出会うか、どんな本に出会うか、
どんな部活、勉強、生活を体験するか、
どんな友達、先輩、先生に会うか。
それらを自分が、どうとらえて、
どんな影響を受けるか? とても大切。

で、その準備は、実は「中二まで」で決まっている。



反実仮想の訓練 ~活車海老と小宇宙

例の「稀少入荷」車海老たちが、水槽に入れられている。

美味しく飲み食いしながら、
「あのさ、もし自分が、水槽の中の車海老だったら、どうする?」

一見、無意味でアホ。
だが、実は大切な「反実仮想」問答がはじまる。
「反実仮想」とは何か?それは、以前も紹介した。
https://sousai-keiei.com/nakanishi/blog/2018/01/25/

1)座して(いや、プカプカして)、穏やかに死を待つ。
・・・待て。本当に、それで、良いのか?

2)底で死んだふりをして、捨てられて、生き残る。
・・・待てよ。。不良在庫から調理しないと、もったいない!という経済合理主義の料理人だったら、
早く料理にされる可能性があるぞ。

3)ピンピン暴れて、抵抗の意志を示す。
・・・待てよ。動くと、上の方に行ってしまう。
時間合理主義の料理人だったら、手っ取り早く、アミですくわれてしまうかもしれない。

4)自ら腕(足か?)か片目を切って、明らかな不良品となる。
・・・オレを商品として出すと、お客様からクレームが入るようにしておいて、生き残る。
痛いけど、生きるためだ。海老になれば、痛くないかもしれない。

5)2)と3)の組み合わせは、どうだ?
死んだふりして、アミにすくわれたところで、ピン!と跳ねる。
地面に落ちて、捨てられて、生き延びる。
・・・でも、捨てられて、料理人の手から逃げ延びたところで、、海水がない。。
かなり苦しみながら、死ぬことになりそうだ。

6)ならば、ひと思いにスパッとつかまって、仲間を少しの時間でも生かし、
ヒトに美味しく食べられたほうが、良いか??感謝はされるぞ。

こうゆう思索をしていると、
申し訳なくて、食べることを、ためらうようになる。
人の「業」。命をいただいて生きていることを痛感する。

車海老の水槽が「小宇宙」に見えてくる。

もしかして、人間社会も、同じじゃないか??
ごちゃごちゃ、やってるけど、結局、ポン!と召されてゆく。
水槽の中と、人間の世界は、大して変わらないかもしれない。

だからこそ、
現世を自分のやりたいように。悔いのないように。
誰かに喜んでもらえるように、全力で。
全ては、ある日、ポンと召されてゆく日のために。

 
「どんな順番で、海老をつかまえるんですか?」と、料理人君に質問する。
変なヤツだと思われたみたい。
しばらく考えてから、
「美味しそうなヤツからです!」と。
・・・ミシュランの覆面調査員と思われたかな?

フッ、模範解答だけどな・・
本当か??
嘘つけーー。それじゃ、店の経営、成り立たないだろうよー。

「目があったヤツ」から始末していってるだろ?
キミ、結構、ワルっぽい顔つきをしているぞー。

きっと、
この水槽の中には、放り込まれてから、幾多の危機をかいくぐり、
何年、生き延びている。
そんな長老・海老も、いるんだろうなー。
「その海老は、この中で、誰だと思う?」
「なぜ、そう思う?その理由は?」
酔っ払いオヤジの面倒なトークは、尽きることがない。。

 
大地震が来ても、中国軍が来ても、
感染症が来ても、大不況が来ても、
大丈夫なように、こうやって反実仮想・訓練をしておく。
だから、
ライバル店が来ることくらい、何てことない!



マフィアの愛したチョコレート

何、食ったブログ・・次は、大阪の百貨店より。

「マフィアが愛した・・」と言われると、、ね。
デザイン・センスと、フレーズだけで、買ってみたくなる。

オヤジ心、そそられてしまうのです。

「ヤクザが愛した饅頭」でも
「ギャングが愛したポップコーン」でも、なんか絵にならないですよね。

なぜだ?
ヤクザやギャングって、
だいたい見た目で「それモン」とわかる。

マフィアのほうが「それモン」とわかりにくい。から??

より地下に潜ってて、秘匿性が高そうな感じ?
むやみに、ひけらかさない感じが、いい感じに思える??

映画でも「ゴッドファーザー」や「アンタッチャブル」のほうが、
「グレート感」があるんですよね。
「仁義なき戦い」よりも。

中身も、お洒落でした。

しかし、
マフィアは、本当に愛していたのか??
たぶん、愛していない。

イタリアのお菓子を売るためのマーケティングの一環である。

さて、御社の商品、何に愛されたことにしましょうか?



一番店のお手本メニュー。下グレードも大切に。

どうでも良い事の中に、ヒントがある。
時々、このブログにあらわれる、何、食べたシリーズ。

こちらは、通りがかりに、ふと入ってみたお店。

何と・・・「天ぷら」と「刺身」を同時に、丼のうえに乗せるという「暴挙」?

定食として、別皿でセットされるのは、
上級ランチとして、広く認知されるところでありますが。

歌手で言えば、矢沢永吉と松山千春にデュエットさせた、
というようなものである。

そして、
注目すべきは、強気の値段設定の下にある。
野菜天丼480円!

腹ペコで、お金に余裕のない学生君のためのメニューも、ちゃんとあるのです。

かっこつけてない、チャラくない、
お客様に密着して、
地道に積み上げるこのお店の姿勢が見て取れます。


裏面は、こうなっています。



男は仕事で成果を上げろ!顔・評価まで上昇する。

支援先の女性スタッフさんと
「イケメン・プロ野球選手は誰か?」という会話になった。

驚いた!!

山本由伸、近本光司、山田哲人。
佐々木朗希、大谷翔平。。という名前が出てくる。
実際「プロ野球 イケメン」とネット検索しても、そうゆう名前が連なっている。

私の感性では、
「え??」「は?」という選手の名前が並ぶ。

「いやいや、ちょっと待ってください」
「顔の話をしてるんですよね?」
「顔・限定の話ですよ」

確かに、顔、悪くはないですよ・・・。性格も良さそうですよ。
でも、顔は、普通くらいでしょうよ。

「じゃあ、聞きますけどね。
 僕の首から上を、カパッ!と、チカモトに取り換えたとしたら、イケメンですか?」
「中身も首から下も、僕です。顔だけ、チカモトです。」

30盗塁しない。毎年15勝以上しない。トリプルスリーしない。
160km投げない。100億円稼がない。
この通り、性格は悪い。変人かつ変態として。
それでも、イケメンですか?

女性陣のこのイケメン判断を、バイアス(先入観・偏り)と呼ぶ。
バイアスの中でも「ハロー効果」=何かの際立つ優れた要素だけで、
全てを総合的に高く評価してしまうバイアスのこと。
いわゆる「過大評価」である。

「顔」を評価するのに、
その判断に「顔以外の要素」を、多分に入れてくる。
純粋な「顔だけ」で判断をしていない。
いや・・・正確に言えば、バイアスがかかって判断できないのである。

つまり、
男よ、仕事で成果を出すべし!
それ以上のメリットも、たくさんあるぞ。
ということである。

 
「じゃあ、中西さんの言うイケメン選手は、誰ですか?」

よくぞ、聞いてくれた!
古くは、カープの高橋慶彦だ。
渡米した選手なら、ダルビッシュ。
今、日本国内なら
断然、ソブエ=祖父江大輔である。

中日の中継ぎ投手、本当に良く頑張る投手。
毎年毎年50試合に登板してるんですよ!3試合に1試合、これを10年間。

どうですか、めちゃめちゃ、かっこいいでしょ。

この、捕手のサインをのぞき込む表情と目力なんかね、
僕が女性なら、これだけで、打ち取られてしまいますよ。

ほら。ソブエです。

じゃーーん!!

「・・・・・」
「うーん・・・まあ・・」
「中西さんのストライクゾーンも、相当、偏っていますよ」

「どう偏っていますか?」

「何というか、、時代遅れなんです」
「今は、中性的な感じがいいんですよ」

「そうですか、うすうす、感じてはいました。」
「でも、僕は、断然、ソブエ派です!!首から上だけ、ソブエになってもいいです」

こんな風にして、
現代人の感性とのすり合わせ訓練をしている。



プロ野球開幕・注目②【ニューフェイス】それと髪の話

大相撲では、十両以上の力士のことを「関取」と呼ぶ。
関取力士となると、まげを「大銀杏」にすることができる。
髷(まげ)の先の部分を、銀杏の葉のような形にする。

大銀杏にするには、一定の髪の長さが必要なのですが、
先般の春場所では、出世が早すぎて、
まげを「大銀杏」にできない力士、尊富士(たけるふじ)24歳が、優勝しました。

同じく、スピード出世で、
まだ、まげさえゆうことができない力士、大の里・23歳も、
11勝をあげて、準優勝クラスの成績。

熱海富士、平戸海、
王鵬(=大鵬の孫で、貴闘力の息子)等々、若手が台頭してきていて、楽しみである。

 
そして、プロ野球。若手での注目は、、
DNAのドラフト1位、度会隆輝(わたらい・りゅうき)選手。

お父さんも、ヤクルトが安定して強かった時代に、活躍したプロ選手。
ユーティリティ・プレイヤーとして、いい味を出していた。背番号も同じ4番。

息子・度会君に、なぜ注目するのか??
画面越しではありますが、
こんなに笑顔が素敵で、前向きにプレイする選手がいるのか?
そのくらい、爽やか・元気・楽しそうにエネルギッシュに野球をする点。
そこに注目しています。

現オリックスの森友哉の高校時代が、こうゆう感じだった。

周りのみんなを明るい雰囲気にする。
こうゆう友達と野球したら、本当に楽しいだろうなーと思える。
しかも、イケメンである。キラキラしているのである。

そして、
DNAの本拠地・横浜の「横浜高校」出身。
これは人気が出る。チームに勢いをつける存在になりえる。

西武に石毛宏典、ヤクルトの宮本慎也、ソフトバンクの小久保裕紀、、
安定的に強いチームには、「チームリーダー」と呼べる選手がいた。
役割としての持ち回り「キャプテン制」とは、また別の話である。
そうゆう存在に、なれるのではないか??

 
「横浜高校」出身、主に野手の選手が、
地元・DNA(横浜ベイスターズ)に入るのは、一種の黄金ルートだった。
鈴木尚典/紀田彰一/多村仁/小池正晃/石川雄洋/筒香嘉智/
荒波翔/乙坂智/倉本寿彦・・・・

以下、完全なる偏見ですが、
だいたい、横浜高校からベイスターズに入る選手は、
1)髪が長くて、帽子から出ている。
2)茶髪にする。
3)ネックレスとかつけている。。
総合すると「チャラい」のである。

度会君は、久しぶりとなる、このルートでのDNA入団。
なんか外見は、このパターンに、はまってしまっているんだけど。。
チャラいだけで、終わって欲しくないぞー。
いつまでも、この雰囲気を失わず、
野球に真面目に、取り組んで欲しい!

・・・
まだ、出世してないのに、髪のばしよってからに・・・
これ以上、髪の毛、長くするなら、
「まげ」にするぞ!
「大銀杏」にするか?



言語は思考を統制する

刑務官による受刑者に対する暴行案件を減らすため、
「さん」付けで、呼ぶことを、決定したという記事である。

刑務官の理不尽な行いが減り、
再犯が減るか?
「北風と太陽」の童話のようになるのか?

・・・・
「言語は思考を統制する」
言葉使いは、その人の考え方、習慣、行動、人格を形成してゆく。
と、私は考えている。
だから、基本的には賛成である。

トイレのことを「便所」って呼んでいる人の家のトイレは、
やっぱり、便所的である。

お客様のことを、社内で「客」と呼んでいる会社には、
本当に顧客満足の高い商品、サービスは、生まれない。

言葉を丁寧にすることから、
人の思考と行動が変わる。組織の雰囲気も変わる。

受刑者に「さん付け」は、確かに、暴行をなくすためには良い事である。
ただ、もっと大きな目的がある。
最終目的は、再犯率の低下、だろう。

そこはどうなるのか?
「さん付け」されて刑期を終えた受刑者と、
このまま「呼び捨て」で刑期を終えた受刑者の
「再犯率」を調べてみたい。
だから、まずは半分の刑務所から始めて
(マーケティング用語では、ABテストと言います)、統計をとってみたい。
仕事柄、そうゆうことを考えてしまう。

・・・・
でも、刑務所って、番号で呼ばれる。って聞いたのですが・・・
893番!
「ハッピャクキュウジュウサンバン!」
ハイっ!!
って。映画なんかでは、そんな感じなんだけど。

893番さーん
って、なるのかな?

病院の会計みたいだな。

<ふふ、いいクスリが、入ったぜ>



逆らわなければ、好かれると思っているか?

映画「ザ・コンサルタント」親父の名言シリーズ。
これで最後にしますね・笑
今や死語となりつつある「ハードボイルド」を、やっているから、
つい、記録しておきたくなる。


お前は、同級生に殴られて、楽しいか?
・・・・
そう、コンサルタントの仕事をしていても、言いたくなる!!
「社長、同業者に、客をとられて楽しいですか??」


逆らわなければ、好かれると思っているか?
・・・・
そう、好かれないね。
大人になってからの仕事も、同じやで!!

好かれたい?
それなら、何かひとつ、
自らの努力で突出したもの「一番」を持つことである。
つまりは「周囲から一目、置かれる」ということが大事なのである。

勉強が得意なら、それを。
全部じゃなくても、9科目の何か一つでも。
体育なら、それ。
全部じゃなくても、何か一つの競技でも。
優しいことなら、それ。
 
他人からの評価において、
何かひとつ「一番」を作れば、好かれるんだ。

ヘラヘラと、みんなに迎合するなよ。
チャラチャラと、見た目や外見、
インスタやYoutubeで、くだらん趣味嗜好、消費に時間を費やすなよ。
そんなことで、好かれることはない。

商売も同じです。



異質さを人は恐れる。映画名言【ザ・コンサルタント】いじめ・差別論

「ザ・コンサルタント」というアメリカ映画より。映画名言シリーズ第三弾。
日本作品名で「コンサルタント」ですが、
原作名は「The Accountant」つまり「会計士さん」である。

会計能力が天才的で、かつ、裏社会からの依頼もこなす。
バイオレンスでも無敵。弱者に優しい。という会計士が、事件に巻き込まれ、悪を退治する物語。
私好みの良い映画でした。

世の中にアジャストできない。音や光に神経過敏。
しかし、ある分野で、凄い能力を身につけている。
という自閉症の少年が、上記のようなスーパー会計士に育つ。

少年期、精神科で、医師に「彼に優しい環境で育てたほうが良い」と、
施設での生活をすすめられる。

しかし、軍人上がりの父親が、こう言って、その申し出を断る。
「これからの彼の一生には、優しい環境などない。
厳しい世界の中で生きてゆけるようにすべきだ」
母親は、この生活に耐えきれず、家を出てゆく。
父親に「闘うこと」を、徹底的に訓練させられる。

異質なものを、人は恐れる。

同級生にいじめられた後、反撃を遂行させるこの父親、
その父親が、自閉症の少年に「なぜ、嫌われるのか」という理由を、伝えた言葉である。

 
「本来あるべきところ」にないものを、人は汚いものに見る。

髪の毛が、頭にあるときは、安心。
しかし、抜けて床に落ちると汚く思ってしまう。
唾液は、口から出て、「つば」になると嫌がられる。
爪は、切って落ちると嫌がられる。
人は「あるべき場所に、その物がない」と、日常を壊すものと思ってしまう。
ジェンダーも同じ。

会計士を育てたスパルタ親父の名言と同じである、
真理である。

「異質」を恐れるから、忌み嫌う。人間は「弱い動物」なのである。

いじめや差別は、そうして起こる。
この真理=根本原理を、多くの人が知ることが、解決の基盤となる。

つまり、「いじめは良くない」「差別はダメ」などと、倫理的に教える以前に、
そもそも「なぜ、いじめや差別が起こるのか?ずっとなくならないのか?」
その根本原理を、論理的に教えたほうが良い。

いじめる側や、差別する側、その人自身が
「弱い」「恐れている」だから、異質さを攻撃する。
その事実認識からスタートすれば、少しは減るのでは?

いじめ的、差別的感情が、湧いたとき、
「あ、オレ、今、異質を恐れてるんやな・・」と思い出せば、ブレーキがかかる。



怒りは危険だ、人をバカな行動に走らせる

京都大学と吉田寮は「プロレス」している。

「トムとジェリー」のようなものである。
↑↑夢のない現実主義者の私が大好き、数少ないアニメである。
(仲良くケンカしな♪)ということである。

つまりは、
文春と松本も「プロレスのようにやってほしい」ということが、言いたい。
結局、共存共栄なのである。

どちらかが、倒れるまでやっちゃダメなわけで。
「生きる道」を残しつつ、
双方で「作品」「歴史」を作れば良い。

コンサルティングにおける私の得意分野である「競合店との戦い」。
その特長は、
こうゆう「プロレス要素イメージ」も、頭にいれながら、行っていることにある。

100%以上、120%のパワーを注いで、
「クライアントが勝つこと、生き残ること、売上・利益が上がること」
そのためには「競合店からお客様を奪い取ること」を至上命題として、
生々しく、シリアスで、現実味あふれる支援している。

しかし、さらに、その上に「30%くらいの足し算」で、
競合店との「闘争」を、
プロレスや、トムとジェリーのように考えながらも、施策を考える。

徹底的に自らの存在をかけてトコトンやる!! でも、そのなかに、
自社と競合他社が入り乱れて「市場」という「作品」を作り上げていることを、
俯瞰して考えている。
プロレスや、スポーツなどで、全力の戦いを観たお客様が、盛り上がって喜んでくれているのと同じように、
消費者が、同業者同士の真剣な戦いを見て、盛り上がってくれることを、視野に入れる。

(おおー、やってるなー。どっちを応援しようか・・・)
そのなかで、私のクライアントを応援してもらえるように。
それを足し算して、戦いを進める。

(お、ライバルはそうきたかー。そうすると、次は、こうなるな。。)
それを見た観客(消費者)は、こうゆうイメージを持って動くから。。
なんてことを、やっている。

商売における、勝ち負けは、お客様の支持の獲得。
=お金を払っても良い。と思われるかどうか、なのである。

・・・・
小学生、中学生のとき、
発狂したように必死で本気でケンカするヤツを、周りのみんなは支持しない。
勝っても、負けても、引き分けでも、
可愛げのあるヤツ、優しさのあるヤツ、筋の通っているヤツ、戦い方に優れているヤツ。卑怯ではなかったヤツが、
長い学校生活のなかで、みんなに好かれていた。
そうでないヤツは、長期的に見れば、支持が集まらない。

法人だって、そうゆう感じである。



同志社側から見た「京大の聖地闘争」はプロレス!?

京都の街には、東側・縦方向に「鴨川」が流れている。

京都の市内の北エリアを横方向に走る「今出川通り」には、
この「鴨川」を境として、
西側には、同志社大学。
東側には、京都大学。がある。

同志社学生は、基本的に、鴨川の東=京都大学のテリトリーに入ることはない。
ボリューミーで美味しい定食屋があったとしても、
「川」という地理的分断要因と、
「学校」という所属&階層的分断要因により、立ち入ることが少ないエリアなのです。

この京大生テリトリーの中でも、特に「ヤバいエリア」が存在する。

同志社側から見れば「京大の最も京大らしい場所」・・・
京都大学の左翼系学生たちが住んでいた(今もいる?)学生寮「吉田寮」である。

私が学生当時、ドキドキ探検に行ってみたころと、ほとんど同じ風景である。
古い木造建物に、物が放置された庭、洗濯物、ニワトリ(=締めて、食糧とするらしい)、
入口には、過激派?的な看板やポスター「ゲバ字」といわれる手書きで、
「阻止!反対集会」「公安排除」「粉砕」「闘争」「連合」など、
お馴染みの文字が並んでいた。

今となれば(こうゆう場所いいなあ、寮生活もいいなあ)と思えるが、
それは「今のこの生活に戻ってこれるなら」という前提である。
ちなみに当時20歳前後の私は、こんなところに住むのは「絶対イヤ!」だった。
(変な友達が住んでて、時々、遊びに行く)くらいが理想であった。

何年も前「吉田寮・取り壊し決定」のニュースが流れていた。
(おおー、もったいないなあ~!時代の終わりだなあ)なんて思っていたら・・・
 

なんと、まだ、存在しているではないか!
驚いたー!!!
(そうか、頭の良い京大生の反体制派の巣窟、、ナメたらあかんな。。)
寮の近くのレストランにて「吉田寮通信」なるのものを見て、健在を知る。
こうゆう時代に、ちょと嬉しくもある。

立ち退き裁判で、大学側と争っているのね。

「実は、これ、プロレスみたいなものです」
と、京大出身の知人が教えてくれた。
つまり、双方、相手が完全に倒れるまで、徹底的に本気でやるつもりはない。

大学側も築100年の耐震に問題のある建物を放置しておくわけにはいかない。
形式的に、何年間も戦っている。
「潰す」「潰すな」とやってること自体に大義名分と価値がある。
どうやら、そうゆう模様である。

「プロレス」とは、争いながら、闘いながら、双方で作品を作っているものである。
※つづく



ヤクザと議員と裁判所

解決に困っても、頼らないほうが良いもの。

ヤクザ。議員。
それに、裁判所。

ヤクザと議員は、ほぼ同じ。
一度頼むと、何かにつけて、色々要求してくる。

・・・・
ちゃんとした「弁護士」は、知り合いがいたほうが良いけどね。
使いこなせるならば。

「刀」を持っているのと同じこと。
バカは「なまくら刀」を、下手なくせに、振り回す。
賢い人は「名刀」を、日々鍛錬して、持ってるだけ。

武士が人に向けて、一度「刀」を抜いたら、命のやりとりになる。
現代、一般人が、「殴る」「蹴る」も、同じこと。
鍛えておくことは大事。でも決して使わない。見せびらかさない。

・・・・
松ちゃん、裁判所、頼んじゃったね。。
基本的には、その時点でダメだわ、
たくさんのお金があって、
「法に問うてみたい」という要素が大きくて、やってみたんだろうけど。

「お世話になった枠」で、書棚に残っていました!

内容は、95%つまらないです。
この中に、自ら「女好きのチャンピオン」とは書いてます。
『オレにチン〇がついているのではない、チン〇にオレがついているのである』と・笑



「発言・文書は、一言・一字まで、慎重に」初手を間違えないで。

「事実無根なので、闘いまーす」
↑↑Xでのダウンタウン松ちゃんの初期の発言。

「ここで、間違えたと思ったね、
 どのようにでもとれるように発言しなければならない」
国家公務員、つまり「官僚」の友人は、そう教えてくれた。
さすが、エリート官僚や!!笑

「事実無根」と言ってしまえば「全面的に事実と異なる」ということである。
「いつも、逃げ道」を作っておかなければならないそうである。

おそらく・・・
「性加害」を事実無根だ。と、言いたかったのだろうけど、
「飲み会の開催」も事実無根だ。と、とらえられてしまう。

「事実と異なる部分が、あるように記憶しています」とか
「一部、事実と異なる点があります」
こんなところが、官僚的・正解発言らしい。

【発言・文書は、一言・一字まで、慎重に】
船井幸雄会長が「社長の心得」として、
次の社長を本告さんに譲るとき、残した10の箇条書きのなかの1つがこの言葉である。

官僚や政治家的な答弁も、イヤだろうから・・・
「私には、全く、そうゆう認識はありませんでした」
「でも、相手方が不満に感じておられるなら、それは申し訳なく思っています」
「事実確認が不十分なことを報道されることについて、遺憾なので。闘います!」

このくらいの「正直さ」「潔さ」のあるコメントで、良かったのでは?

最初のボタンを掛け違えると、
ずっと、違ったまま、進んでゆく。
リーダーの最初の言葉は、慎重に、大切に。



長所=すぐ腹を立てること

オレに、良いところが、ひとつだけあるとすれば、
【すぐ、頭に来ること、腹を立てることじゃないですかね】
・・・・矢沢永吉さんのインタビューより。

幼少期、永ちゃんは極貧生活であった。

生活保護の家庭で、
タダでもらっていた教科書、給食(=裏口で配給)それにムカついた。
「絶対に上に行ってやる!」と思った。という。
小学高学年のとき。

ラッキー、無料だ。
何もせず、お金をもらえる。
どうすれば、これを続けてゆけるか?
そう考える「卑怯」な人間ではなかった。

どうせ頑張っても、無理だから。。と考える「卑屈」な人間でもなかった。
裏の道に入ってパワーを発散する「卑劣」な人間でもなかった。

自分以外のせいにせず、
真っ向から、問題の解決に立ち向かう「反作用」があった。

この点、家康と似ている。

一般的には、家庭環境が悪いと、本人も「卑」の要素を持って、育つ。

ズルいことを平気でやる、楽なほうを選ぶ、自己都合と言い訳のオンパレード、、
ダメ人間になってしまう可能性が、非常に高い。

しかし、100人に1人、数パーセントの割合で、
永ちゃんや、家康。。。
身近な例で言えば、悪環境から1代で事業拡大する経営者。。。
とてつもない「反作用パワー」を発揮するモンスターが生まれる。

 
すぐ、頭に来ること、ムカつくことは良いことだ。
真っ当な、腹の立て方をしよう。
男は、反発係数が高くないとダメだ。
https://sousai-keiei.com/nakanishi/blog/2013/01/08/
10年前のブログでも書いていますね。
基本ライン、ブレてない・笑



「三河武士は忠義者」=家康の操作的広報戦略(プロパガンダ)

三河武士は、忠義に厚く、勇猛である。
と、言われている。

これは、家康による「プロパガンダ=情報操作的な広告」である。
(と、私は妄想している)

理由を説明する。

祖父・清康は、25歳で家臣に殺される。
父・広忠も、24歳で家臣に殺される。

殺したのは、もちろん「三河武士」である。
「忠義」とは、程遠い家臣団の中に、家康はかえってきた。

さあ、そこで、どうするか?

普通は、「こいつら、もう信用しない!」
最悪「人間自体、信用できない!!」となる。

自分に置き替えてもらいたい。
何代も続く会社を経営している会社に生まれた。が、
父も、祖父も、2代続けて、
会社の幹部に、財産を持ち逃げされて、自己破産の憂き目にあっている。
そうゆう会社を引き継ぐことになった。
現代で言えば、そんな感じである。普通、人間なんて信用できなくなる。

でも、家康は、普通じゃなかった。
「ならば、俺が忠義の家臣を作ろう。平和な世の中を作ろう」と考えた。
ここが、天下人たる所以である。
強力な家臣たちを育成して、勝ち残る。

「三河武士は、忠義に厚く、勇猛である」

これは、過去、そうではなかったから、
今からは、そうであって欲しい。という願望である。
(父も、祖父も、家臣に殺られた。自分もそうなるかもしれない)
それを、なかったことにしたい。なくしたい。
コンプレックスであり「強い反作用」である。

・・・・
「スローガン」とは、そうゆうことである。
「こうあって欲しい」(今は、全然、違うけど・・・)という願望を、
いかにも事実のように、言葉にして発信し続ければ、
そのうち、本当にそうなってくる。

『○○会社のスタッフは、○○だ』今、できてない。
けど、そうあって欲しい姿。今と真逆のフレーズを言い続けてみてください。

これを、プロパガンダ、マインドコントロールと呼ぶ。
一般的には、良い意味では使われない、マイナス・イメージ用語である。
が、組織運営やマーケティングには、必要な要素である。

古来、「毒」をうまく使いこなす者だけが、「良薬」を作ることができる。
ペニシリン、アスペリン、ケシ、アヘン、モルヒネ・・
本来、毒であるが、良薬となる。



なぜ、生きているのですか?

12月のブログに書いてきたのは、
自分の若いころに影響を受けて、今年、亡くなった人たちである。

ここには書いていないけど、
突っ張りの寺尾も、上岡龍太郎も、ムツゴロウさんも、
宇宙戦艦ヤマト&ハーロックの松本零士さんも・・・

何回かシリーズ的に書いたことの共通点は、
「あの人から、こうゆうことを学んだ」
「肉体としては消滅したけど、
 こうゆう部分を、自分のなかに“インストール”している。
 だから、彼は自分のなかに生きている」
ということである。

私に「なぜ、生きているのか?」と聞かれれば、
私も、広く深く、そのような存在となるために、生きている。

つまり、
自分が死んだとき、
「ああ、アイツから、こうゆうことを学んだな」ということが
ひとつだけでも、残ればよい。

時間も空間も超えて(つまりは、後世や別の場所で)
自分と関わりのない、誰かが、そうゆう人がいたのか!!と、
参考にしてくれるなら、もっと嬉しい。
それは、凄いことである。

葬儀は、それを再確認する場と時間である。と考えている。

 
今年、話題になったジャニーさん(性的加害)や、
安倍さん(統一教会、裏金)のことは、その対極である。

・・・・
谷村、YMO。。。各分野の巨匠が、天に召されたので、
永ちゃんは、大丈夫か??
生きているうちに、会いに行っておこう!
と、理由をつけて、急遽、前日に参戦決定。

74歳、でこのパワー、、すごい。
※太っちゃダメだな。勉強になりました。



遊ぶことは、困難を乗り越える力である

人間を、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)と位置づけたのは、
オランダの歴史学者ホイジンガである。
「遊戯」が人間の知的活動力の源である。と発表した。
道具を作る(ホモ・ファーベル)/知能がある(ホモ・サピエンス)と並んで、
ヒトがヒトたる所以とも言える。

自由に、ストレスなく、試行錯誤をしてみること。
失敗しても許される状況で、面白がって、色んな方法を試してみること。
遊びこそ、進化と成長の糧である。というのである。

レジリエンス尺度(困難を乗り越えて、精神回復する力)と、
遊び経験は、比例する。
・・・・ご存知の通り、うつや引きこもり、ストレス耐性の低下などが、今、増えている。

つまり、
幼少期、たくさん遊んだ。
遊びや、遊び心を、大切だと感じる人は、
不測の事態、困難な事態にどう立ち向かい、考え、行動するか?に、強くなる。

イタリア人は、レジリエンス尺度が強そうである。

 
追記・・・その1
集団同士で競い合う「遊び」=チーム競技は、人間しかできない。他の生物はできない。
集団内での協力関係が生まれる。競い合った相手集団とも仲間になる。
集団競技経験者が、社会で活躍しやすい根拠かもしれない。

追記・・・その2
大人は実社会において、社会的ステータスの逆転は難しい。
が、遊びの中は、それをリセットした、ステータスの疑似体験空間となる。
ゴルフとか、麻雀とか、サークル活動とか、、あと、JC活動もそれにあたるだろう。



ページトップ

TOPへ戻る