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繁盛店は、季節感の演出が早い


2月1日、ご支援先へ向かう途中の雑貨屋さん。
なんと、すでに「桜」!!
おおーー、なんだか、ドキッとします。

お店は、女子に人気の「アフターヌーンティー」

当社にも、この店出身のスタッフさんがいますが、やはり優秀です。

ディスプレイの技術も素晴らしいですね!



運をつかむため、自分のここをコントロールする

大谷翔平選手の「曼荼羅・目標達成シート」で、
面白いなあ~と感じたのが、
「運」や「人間性」「メンタル」という、テーマを設定していることです。

特に「運」も必要。と感じていたなんて・・・その視点が凄い!

これまた「根本」を捜索してみると、
やはり、佐々木監督の言葉に出てくる。


「運は、自らをコントロールしている人のもとにしか来ない」

自分の何をコントロールするか?
<言葉>
いかなる場面でも、愚痴や、不満、毒を吐かない。
マイナス言葉を使わず、プラス言葉。

<一緒にいる人>
友人は選べる。
友人を見ると、その人がどんな人かわかる。

<その他・・・表情・態度・姿勢・身だしなみ・感謝・謙虚さ>
敵をつくらず、味方をつくる。
謙虚であると味方が増え、その人たちに感謝の気持ちを伝えると、
さらに応援してくれるようになる。

・・・野球で言えば、
点を入れて大喜びしているチームには脅威を感じない。
負けているときこそ笑顔で、ファイティングポーズが出るチームは怖い。

チームワークが良くなければ、
対戦相手も含む、周りへの感謝がなければ、「運」は離れてゆく。

 

ご支援先とともに、海か見えるレストランで、食事をいただきました。

言葉・ともにある人・表情・態度・姿勢・身だしなみ・感謝・謙虚さ・・・ですね。
「運」を引き寄せます!!



成功の基本要素は、全て同じ

大谷翔平君の「目標達成・曼荼羅シート」
高校生の彼がひとりで作ったのか?

さすがに、その可能性は低そうですよね。

では、誰が作らせたのか?

きっと、花巻東高校の野球部・佐々木監督だろう。
高校野球マニアの間では有名な「花巻東高校のベンチワーク」
選手たちが明るく、チームメイトのために、笑顔で、声を出し、動き回る。

そこで、佐々木監督の発言を調べてみました。
野球を通して、
社会に出ても通用する人間作り(考え方・取り組み方を教育)をしていることがわかる。
そのままビジネスに通ずることなので、書き留めておきたい。

 
「日本一を目指すなら、
日本一の全力疾走をしよう。
日本一のカバーリングをしよう」

・・・誰でもできることから、トップクラスに!

 
「失敗を成功につなげる選手は、一流。
責任を転換して失敗を繰り返すのが、二流。
三流は、自分が失敗したことすら気づかない」

・・・生きてゆくなかで、誰もが共通で持つと良い認識。
 
 
「監督が主人公のうちは勝てない、
監督はあくまで演出家、選手達をいかに主人公にするか。
あまりにも指示を出しすぎると勝てない」

・・・選手達に練習メニューを考えさせ、監督は要所要所で提案、アドバイスのみ。
 自主性を邪魔しない、対話を心がける。

 

「一般的に本を読みなさいと言われますが、
そもそもなんで読まないといけないと思いますか?」と、質問する。

=大事なのは、「なぜ本を読む必要があるのか、考えること」
 答えを教えるのではなく、考え方を教える。
 野球の打ち方や投げ方を教えるところではなく、野球を通して考え方、取り組み方を教えるところ。

とても勉強になります!



年末年始に読もうとしていた書籍


最近、買ってきたけど、
まだ読めていない本たちを・・・
お正月休みで、まとめて読むぞー!と準備。

主に、
クライアント先で「これ、良いですよ!」と、教えていただいたもの。
テレビで紹介されていたもの。
それに・・・
「初めて本を買いました!」と会議で、
ご支援先の幹部候補生が発言していたので、嬉しくて、その本も、共有するため買っています。

結局、
欲望と、目の前の優先すべき仕事に敗北し、、(毎年、同じことの繰り返しだ~・笑)
ほとんど読めずに、休暇は終わってしまったんだけど、、
少しずつ読んでゆきまーす!



新年、あけましておめでとうございます。

いつもブログを、読んでくださっている皆様にとって、
良い1年となりますように。

当社にとっては、存在目的=「最強のコンサルティング集団」であるために、
より濃く、より着実に、加速度を増して、前進してゆける年になりそうです。

昨年は、たくさんの葬祭業界の皆様が、
色んな事実と真実に気づきはじめたようです、当社へのご依頼が例年の倍くらいとなりました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

大阪より、初日の出をどうぞ。



2017年、ご支援先からいただいた嬉しい一言

2017年、ラストは北国のご支援先へ。

事務所は、28日で、仕事納めです。
私自身は、29日も、大阪で打ち合わせが入って、ちょっとした仕事。。

 
ご支援先の社長から言われて、
嬉しかった言葉を記録しておいて、(気持ち良~~く)今年ラストのブログとしたい。
それは、こんな言葉。
↓↓
売上が上がっていることは、当然、助かっています。
それと同時に、中西さんと一緒に、色んなことを決めたり、作ったりしてゆく過程で、
自分の中で、売上を上げるための根本的な思考回路が、変わってきていることを実感します。
↑↑
嬉しい!
こんなことを感じてもらえるのは、
社長ご自身の「感度」「物事のとらえ方」が、優れているからです。
化学反応を起こし、より良い方向に向かってゆきそうな気がします。
それが、何よりも、嬉しいのです。
こうなってくると、
売上は着実に上がってゆき、財務体質も強くなってゆきます。

  
・・・・以下、創業当時から、当社のホームページに掲げている当社の経営理念(のようなもの)
↓↓
もっと確実にクライアントの業績を上げる
本物のコンサルティング(THE REAL CONSULTANTS)を、ひたすら追求し続けています。

売上が増えることの楽しさ。喜び。充実感。
それをお伝えすることが、日本売上アップ研究所の願いです。

日本売上アップ研究所のコンサルティング
「売上を速効で上げること」
「現場に強く、実務的であること」
「一瞬の関わりが、一生モノとなること」
↑↑

追い求めても、届くようで届かない、この経営目的。
ふとした、このお言葉をいただいたとき、
少しだけ達成できた感覚があったのだろうな~。と思います。



北浜の事務所より


毎日、コンサルティング先を、ご訪問する日々。。
久々、事務所に出社することができました。

窓の外は、クリスマスのイルミネーション。
眼下の中の島公園一体が、きれいにライトアップされています。
あー、もっと、事務所に来たいな~・笑
7月に移転してから、数えるほどしか、出社できていません。
 

現在進行中の、新築・リニューアルの案件は、
全業種をあわせて、40か所以上を数えます。これは、過去、最高。。

コンサルタントである私が、忙しいのは、良いことです。
それだけ、
ご支援先が「売上を上げる」ために、活動していただいている・・・という証拠です。

成功した数字や幹部の成長が、何よりのやりがい!
よし、頑張るぞーー!



夜??いや、朝です


スーパームーンの日、朝から出張です。

朝・・・というよりも、もはや夜だし。。泣

なんだか、切なくもあり、
心洗われる気分でもあり、
これから支援先に行く「気」が充満したモードでもあり、、
コンサルタントの冬の風物詩。

・・・
満員電車や、誰かに決められた時間に出社するよりは、
こちらのほうが、楽しい♪



最近・・・


忙しいでゴザール・・・。
コンサルティング依頼が、増えているのでゴザール。
分身が欲しいでゴザール。

でも、
とてもありがたいことです。

なぜ、こんなに依頼が増えるのか?
理由は、つかめていないけど・・・
きっと、ご支援先の皆様が、とても業績を上げてくれているからだと思います。
良いスタッフに、恵まれているからだと思います。

忙しくても、調子に乗ってはいけない、
目の前のクライアントさん、スタッフさん、最優先でいこう!



男旅・弐 ~作戦立案者の責任

「誰かのために、体を張って、生きてきた」
若い先輩方に感謝と、
私も同じ国に生を受けた男として、
そうゆう人間でありたい、という気持ちを、新たにしました。

それと、同時に、大切な命が特攻によって失われたことについて、
「コンサルタント=参謀」という職業とリンクして、思いが去来する。

特攻という作戦は、無謀ではなかったのか?

色んな思索がぐるぐる駆け巡り、未だ、答えが出ていない。

まず、
私は、コンサルタントとしても、リーダーとしても、大切にしていることがある。
「自分に、できないこと」
「自分が、身銭を切ってやれないこと」は、他の人に提案しない。ということです。

その結果、
作戦内容を実行していただく会社やスタッフさんに、
意味のない、無駄なことをさせることはなくなるし、
時間・お金の負担、体力的・精神的負担も、最低限に抑えることができる。

「ポスティング、1日で〇〇枚・・やればいいんですよ」と、
特殊な成功ケースを聞きかじっただけで、軽々しく話すコンサルタントもいる。
しかし、住宅の密集度によって、配布できる枚数は様々なので、
地域別の基準を作らなきゃダメだ。
体力だって、人それぞれで、普通は2時間やれば、もうヘトヘト。
実際に、やったから、
どの地域ならどのくらい配布できるのか?
どんなツールが良いのか?配布NGのマンションをどうすれば配布できるのか?
スタッフの不正をどうやって防げばよいのか?も、わかる。

「福島の原発は問題ない」と言った政治家は、
自分自身か、少なくとも、家族か親戚が、福島に移住するのが筋だと、思っている。
何時間か避難所を訪問して、テレビに流すのはポーズに過ぎない。
何日間か、自分が避難所で生活してみないと対策は出てこないし、
心情もわからない、と思っている。

そうゆう意味では、
特攻を指示した幹部は、特攻すべきだと考えている。
任務上、不可能なら、少なくとも、自分の子供を特攻隊に入れるべきだと。

いつの時代も、どの国でも、
戦争は、年寄りが始め、若者が犠牲になる。

そこで・・・・
「特攻作戦を考えた人」とグーグルで検索してみる。
そうすると「特攻作戦の生みの親」と言われている二人の名前が出てくる。

大西 瀧治郎・海軍中将は、終戦後、割腹自殺。
宇垣纏・海軍中将は、玉音放送後、自ら部下とともに特攻。

大西中将の自殺は壮絶だった。
切腹しただけでは、人は死なない。
介錯により首を刎ねられなければ、絶命しない。
「自らの死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝す」と遺文を残し、
介錯なしで、自ら腹と首を切った。
数時間後、絶命せずにいるところを、人が見つけて病院に連れて行くも、
介錯も、延命措置も、拒んで、翌日、死ぬ。
苦しみを自らに課して死んでいった。

宇垣中将の降伏後の特攻は、違反だと思う。
しかし、身勝手ながらも、彼なりの責任はとっている。

このような史実を知ると、
作戦を立案する者としての「矜持」は同じだったのか・・・と思う。
無責任に特攻させたわけではないことは、理解できた。

もちろん、
この二名が特攻を考えた代表のように書かれているが、
実際には、特攻作戦立案にかかわった人や、
それを推奨した人で、責任をとらない人も、たくさんいたはずだ。
「手柄は奪い、責任はなすりつける」大きな組織にありがちな特性。

現在の日本の政治家や、リーダーに、
覚悟を持って、仕事をしている人間が、どのくらいいるのだろうか?



男旅・壱 ~敵機は来ますか? 

夏の恒例行事となってきた「男旅」
鹿児島へ。。。

ごクライアント葬儀社の社長、幹部の皆さんには、
鹿児島出身の方もおられ、皆さん好漢(=快男子)揃いなのです。
さすが、現在の日本の礎を作った、薩摩藩。
薩摩隼人たち。
そんな憧れも手伝い、空路、南へ。

目的のひとつは、
「知覧特攻平和記念館」に行くこと。

太平洋戦争下、沖縄に進攻してきたアメリカ軍を食い止めるため、
爆弾を積んだ飛行機で、乗員もろとも、敵艦に体当たりをする・・・という
特殊任務の攻撃隊=特攻隊の出撃基地があった場所です。

館内には、
特攻隊員1000名の遺影写真と、
遺書が展示されています。

まず、
写真のお顔が、皆、凛として大人びていて、
文字と文体が、とても綺麗なことが、印象に残ります。

遺書は、文語体で書かれているものも多いため、
内容や意味を完全に汲み取ることが難しい部分もあります。

でも、
「明日、身体を粉々にして死ぬことの確定した男が、一番大切な人に残した文章だ、
意味を完全に把握できなくとも、とにかく1枚1枚、全てに目を通すこと!」
それが、今の平和な日本に生きさせてもらっている男に課された、
最低限の義務であり、礼儀だろう・・・。
そのあと、何を思うかは、それぞれの自由。と、各自、見学。

残される父母への感謝の言葉と、これからのことを気遣う言葉。
恋人や子供への最後のメッセージ。任務の全うを誓う言葉。。。
一見、何でもない普通の言葉にこそ
その底にある、大きな感情を、窺い知ることができます。

もしも自分が、同じ時代、同じ立場となったとしたら、、どんな遺書になるだろう?
あまりに決断と思いが大きすぎるがゆえ、
すでに心の整理ができていて、
逆に、特別な言葉や、感情を素直に、書くことはないだろうな。と感じる。
どうだろう?

 
抑えていた感情が一気に、あふれてしまった瞬間があります。

どなたのものなのか、
言葉も、正確には覚えていない。

遺書の主文を書いたあと、
父、母、恩師・・・それぞれに宛てた文があり、
その最後に、おそらくは親戚の子供たちに宛てたメッセージがあった。

「敵機は来ますか?」

長い文章の中の、この言葉を目にしたとき、涙が止まりませんでした。

自分が戦うことで、
愛する家族を戦火から守れるかもしれないならば・・・
そうゆう使命感で生きた人たちの本質と、優しい心。

特攻隊員の根底に共通しているものを、一気に感じ取り、
涙腺が。。

「敵機は来ますか?」のあとは、こんな風に続いていたと思います。
「敵機なんて、なんでもないですよ。
 これから、〇〇兄さんが、倒してきますからね。
よく勉強し、体を鍛えて、父母を助け、日本のために・・・」

まるで、自分に宛てて書かれているように感じます。

 
もちろん、特攻隊員だけではない。
各地で戦闘に参加した人も、しなかった兵員も。
国内で働いていた人も、女性も子供も・・・当時、みんな必死だっただろう。

記念館は、撮影禁止のため、知覧の武家屋敷をアップします。



たとえ、お上の命令であっても・・・

先人たちの「立派な城の明け渡し」を、尊敬している私としては、
故事を持ち出して、話さずとも、
旧オフィスを、丁寧に掃除しておいてくれたスタッフ達のことが、
嬉しくて、仕方がありません。

水回りも、この通り!
顔が映りそうなくらい。

 
ちょうど良い機会なので
「城の明け渡し」について、有名な事例をひとつ。。
戦国武将・福島正則が、幕府によって、改易された際のお話。

居城である広島城を預かっていたのは、家臣。
幕府の役人が「引き渡し」の兵を向けたとき、
その家臣は、引き渡すことをしなかった。
理由は、こうです。
「この城は、主である福島正則から預かっているもの」
「したがって、主の命令なしには、
たとえ将軍の命令とあっても、明け渡すわけにはいかない」

これを聞いた福島正則は、
感涙を流し「すぐに明け渡すように」という書を送り、家臣はこれに従った。
城を掃除し、行政の引継書、武器の目録等を一式、
幕府の役人に渡し、堂々と去っていった。

この話が知れ渡り、
こぞって他藩は、改易後の福島家の家臣を、召し抱えようとしたそうです。

さて、、、
皆さんの会社のスタッフさんは、どうでしょう?

警察が来て「ホール前のステ看板が邪魔だから、引っ込めてください」
と言われたら?

どう対応するでしょう??



撤退戦は、進出戦よりも難しい

新しいオフィスを構える、
ということは、古いオフィスを、出てゆくことです。

クライアント先の出店・退店を、
近くで見ていて感じるのは、
「出店のときには、誰でも簡単に、嬉々として契約や準備をすることができる。
しかし、退店のときのほうが、大変だ」ということ。
人の出会いと、別れも、同じですね!

ちょっとでも、会社にふりかかる損害=撤去費用を少なくしたい・・・
という思考回路の幹部にとっての「撤退戦」は、
非常なパワー・人間性・テクニックが必要となります。

「契約通り、原状復帰でお願いします」という
大家側の意向に対して、その道理を曲げて、撤退交渉を行うのですから。

これが「ダメ・サラリーマン」社員だと、
「契約だから、仕方ない。言われるままにお金を払って、はい、仕事完了!」となる。
こんな人間を、絶対に幹部にしてはいけない。
いや、会社にすら入れてはいけない。給料を払ってはいけない。

 
戦国~江戸期、
城を明け渡すときの「見事さ」は、その家の後々の語り草となります。
キレイに掃除して、次の城主に明け渡すのだ。
これこそ、日本人の心ではないか?

私自身、オフィス移転には、多く関われなかったけれども、
荷物も運び出した後、見事にピカピカに磨き上げられて、
引き渡しに立ち会うため、訪れた旧事務所を見て、
「あー、素晴らしいスタッフに恵まれているなー」という感謝の気持ち、
「これまでこの場所にお世話になりました」という感謝の気持ちを新たにしました。

「撤退戦」のコツは、オーナー側に、
少しでも早く、良い条件で、次の持ち主が見つかるよう、
共に努力・協力する姿勢を見せること。。。と理解しました。

「次の人が、心地よく使えるように・・・」
仕事って、どんなことでも、根底は共通ですね。



遷都 ・・・オフィスを移転しました。

オフィスを移転いたしました。
大阪・北浜へ。

昔は、ダボっとしたスーツと煙草が似合う、証券マンの街。
今は、オシャレ女子にも、人気が出てきている街です。

写真は、事務所の窓からの風景。
北浜駅の出口を出てから30秒、川沿いのオフィス、
目の前には、五代友厚の像が立つ、旧・大阪証券取引所があります。

オフィス移転の理由は、色々と・・・。
・物理的な問題
(旧事務所のレトロ建物なので、冬が寒く、某・哺乳類が天井裏に同居している)
・心理的な問題(現在の「気」から、遠ざかり、新しい空気に切り替える)
・未来への投資(優秀なスタッフを採用しやすい場所に、移転する)

昔、国家が「遷都」をしていた理由と、よく似ています。
有名な平安京や平城京のほかに
実は、藤原京、長岡京、難波京、飛鳥京、福原京・・・等々、
飛鳥から奈良時代、「遷都」は、頻繁に行われていました。

遷都の主な理由は、以下のように言われています。
・水や食料、燃料問題を解決するため。
・怨霊や穢れから、人間が逃れる信仰的な理由。
・政治、仏教勢力を、刷新するため。

大学卒業後、お世話になった船井総研も、
私が入社してから退職までの16年間で、
勤務した大阪の事務所は3か所。つまり、2回の移転をしました。
東京事務所を含めると3回の移転をしています。
約5~8年に1度のペースで、移転していたことになります。

 
ちなみに、
事務所を引越ししたのは、2017年7月6日。
スタッフが調べてくれて、年に数日しかしかない
「引越しに最適な吉日」が、4つくらい集中している日に引っ越しました。

神様の存在は、ほとんど信じていませんが、
移転した途端、
良いことが、たくさん起こっています。

良いことが起こりすぎて・・・
この快適なオフィスに、ほとんど行けないことだけが、
とても、残念ではあるのですが・・・。

早速、何社かの葬儀社様が、ご相談に来てくれました。
いつでも遊びに来てくださいませ。
私は、ほとんどおりませんが(笑)



灼熱の夏・・・コンサルタントの勲章

「中西さん、日焼けしていますねー」
「どこか、遊びに行ってきた?」

いえいえ・・
これは、、、
ひとえにコンサルティングの「現場焼け」です。

店舗やホールに行って、自社の外観のチェックをする。
出店候補地を見ながら、歩き回る。。

机上の計算やデザイン、研修だけでは、
真の「答え」や「仮説」は見えてきません。


真夏の爽やかな青空に向かって、突き立つのは、
看板の見え方を測る「スタッフ(箱尺)」という測量計器。

携帯電話を片手に、
高さを変え、位置を変え、
全方向から、どう見せるのが最も効果的なのか?
行ったり、来たりしながら、看板のサイズを確定させてゆきます。
炎天下のなか、汗ダラダラ、
1時間以上かけて、そんなことをやっています。

 
「日焼け」は、「現場第一主義」の勲章だ!

苦しくても、大変でも、面倒でも、、
そうしたほうが売上が上がるし、
そうゆうコンサルタントのほうが、かっこいいんだ!・・・と思うから、こうしています。


肌は、黒くなっても、、
腹の中は・・・「純白」です。
ご支援先の敵に向かう時と、火の粉が降りかかる時だけは、
時折、手段として「黒く」なります(笑)



ファーマーズ・サラダ


クルマの車検のため、郊外へ向かう途中、立ち寄ったカフェにて。。
出さてた料理に、そっと添えられていました。

ほほーーう。。
これ、、葬祭業でも使えるかも!

異業種は、進化していますね。

ご支援先で、試させてもらおう。



甲子園の楽しみ方

・・・・
おや?
アナタ、忙しいとか言いながら、甲子園に、行ってるじゃないーー!

先日のブログの写真を見たクライアント様からは、
こんな声が、聞こえてきそうです。。

行ってきました!

私の球場でのプロ野球の楽しみは
試合よりも、選手の試合前の練習です。。。

キャッチボールの球のスピード、伸びと勢い、
フォームの安定度に、感動。。


松井稼頭央選手が、近くに来て、しゃべってくれる。
40代でも、ムキムキボディ。
めっちゃ、顔濃い。かっこええ!!(なんか、ええ匂いしそう・・・)
感動。

アルプス席からの応援だったので、レフトの選手が目の前にいましたが、、
内野ゴロのとき、二塁や三塁のすぐ後ろまでカバーに行ってる。。。
その手を抜かない仕事量や、足の速さにも、感動。。

野球マニアです。



最期の在り方についての思想

このまえのブログの続編のような内容。

歴史は繰り返す。。、
歴史を知れば、
自分を相対化して、観て、生きることに活かせる。

こと、
男子が心にとめておいたほうが良いことが、あとひとつ。

どんな人物も
「何をしたか」とセットで、
「最期どうであったか?」が、人の心に残り、評価を決める。ということ。

源平時代で言えば、、、
義経は、奥州で庇護されていた藤原泰衡に攻められ、
少人数で最期まで戦い、自害する。
義経を守って、弁慶は「仁王立ち」で、死ぬ。

頼朝の命令で、義経を討ち取った、藤原泰衡は、
たった3か月後、頼朝の大軍に攻められ、挙句、家臣に裏切られて、死ぬ。
泰衡の首は、今でも「首桶」とともに、
奥州平泉に保存されていて、胸に迫りくるリアリティがある。

泰衡を裏切った家臣は、その首を持って頼朝のもとに行くが
「主を裏切った不義理者」と、逆に斬首されている。

頼朝の父・義朝も、家臣に裏切られて殺されている。
戦いに敗れ、逃れる途中、風呂場にて。
「木刀の一本でもあれば!」との言葉を残したと言われる豪傑。

その家臣は、なんと罪を許されて、頼朝のもとで働いていたけど、、
平家を打倒したのち、その当時の罪を問われて、殺される。

頼朝は、落馬が原因で、命を落としたとされている。
子の頼家、実朝も、次々死ぬ。
(妻方の実家・北条氏の陰謀の可能性が高い)

 
一方、平家の側は・・・
清盛は、61歳で熱病に倒れ「頼朝の首を墓前に供えよ」と言い残して、死んだ。
幼かった頼朝・義経の兄弟を殺さず、情けをかけて生かしておいたのに、
その恩を忘れ、反乱を起こしていることへの恨みと後悔。

平家の一族は、山口県・壇ノ浦で滅亡する。
船の戦いだったので、海の中に「入水」して、死ぬのですが・・・その最後は、3つに分類される。

A<勇猛果敢な最期>
平知盛は「遺体が浮いて、相手方にさらされぬように」と、船の碇を体に巻いて、海に身を投じる。
平教経は、義経を追い詰め、散々暴れたあと、敵方の武将2人を脇に抱え「地獄への供をせよ」と、海に沈む。

B<普通の最期>
大多数の平家一門の武将は、海に身を投げて死ぬ。

C<恥ずかしい最期>
棟梁である平宗盛は、海に飛び込んだが、死ぬのが怖くなり、
浮かんで泳いでいたところを生け捕りされる。
頼朝のもとに送られ、助命を嘆願したとされるが、結局、殺される。
 
信長も、秀吉も、家康も、
真田幸村も、石田光成も、
西郷も、龍馬も、山本五十六も、犬養毅も、白洲次郎も・・・。
歴史をみれば、
「何をしたか」と同等レベルで
「どう終わったか?」が大切。

写真は、浜松にて。
三方が原の戦いで、危機に瀕した家康を逃がし、
身代わりとなって死んだ家臣・夏目吉信の顕彰碑。
無名の武将でも、こうして名が残る。

最期、
正々堂々、立派であったか、
コソコソ、卑怯であったか?

後世への語られ方、その末路。
歴史は、勉強になります。

だから
「お葬式」や「どう人生を終えるか?」は、
とても大切なことだ・・・と、相当、真剣に思っている葬祭業コンサルタントです。



義経と日本人。歴史に学ぶ人の本質

幼名・牛若丸。弁慶や鞍馬天狗との伝説。
長じて、平家追討。一の谷での「鵯越えの逆落とし」
屋島合戦での「八艘飛び」。壇ノ浦の戦いでの勝利。
平家を滅ぼした後、兄・頼朝から鎌倉入りを拒否され、送った「館越状」
安宅の関での勧進帳、奥州平泉衣川での最期。弁慶仁王立ち。
モンゴルに渡り、チンギスハーンとなった伝説。。

数々のエピソードに彩られた「源義経」

たった31年の人生、そのものが「物語」となっています。
日本人ヒーローの「元祖」です。

全国には
「本当は、義経は生きていた・・・」とか
「ここに義経が来たんだ」とされる史跡が、たくさん残っていて、
その愛されぶりがわかります。
義経の官位に由来する
「判官びいき」という言葉にもあらわれています。

義経やその一族が登場する、平家物語や、保元・平治物語を読み、
思いを馳せたのは「源氏と平家」の盛衰の戦いや、
両家の「家系図」に登場する人物たち。

源氏にも、平家にも、
たくさんの親、兄弟、子供、孫がいて、
それぞれが、色んなキャラクターを持っている。

一族の棟梁である、平清盛・宗盛や、源義朝・頼朝の周りには、
戦いに強い人もいて、
文武両道の人もいる。強いけど粗暴な人もいるし、
義経みたいなスーパーヒーローもいる。 

調整役の人格者もいて、
歌を詠んだり、遊んだりするのだけが、得意な人もいる。

戦いに行って、水鳥が羽ばたく音に驚いて、敗走するダメな子も、
笛の上手なイケメン美男子もいる。親の権威を振りかざして調子に乗る子も。。

素質があって期待されてたのに、早く死んでしまう人も、
長く生きながらえる人もいる。
平家でありながら源氏と仲良しとか、源氏なのに平家の味方。。という人。
親や兄弟を殺す人もいれば、親の身代わりになって死ぬ子もいる。

家系図と物語を見比べながら、
「オレは、絶対、こんな人には、なりたくないなー」
「このくらいの人物には、なれるかなー」なんてことを考えて
「自分がどんな人物になりたいか」という大きな方向に向けて、努力をする。

戦に強い能力は、現在で言えば、体力、筋力であり、
智恵の力は、勉強であり、
人徳や筋目、義理や恥は、今も変わることがない。

歴史は、繰り返す。
現在にも通ずる「縮図」です。
歴史を知り、自分を重ねれば、少なくとも、生きる道を踏みはずさない。

 
以下、余談と大事な「歴史のルール」
家風として・・・
平家は、一族の仲が良い。でも貴族化した弱い人が混じっている。で、滅亡する。
源氏は、各自、強いんだけど、仲が悪くて、殺しあってしまうことが多い。。一度は、平家に勝って、その後、滅ぶ。

最終的には、棟梁の器が、未来を決める。

棟梁が、軟弱な後継者を育ててしまうと、滅ぶ。
2代続けて、文武両道の人物が代表になると、繁栄する。
3代、優秀なリーダーが続くと、盤石の体制が整う。

後継者には、
早めに「源平の盛衰」に興味を持たせ、
何かを感じとるようにしておいたほうが良い。と思う。



全国コンサル行脚・その2<東京> 全客層の気持ちになり切れるか?

本日は、東京に宿泊。
ゴジラが名物の「新宿・東宝ビル」を望む。。

写真右上に、ゴジラのアタマが、見えています!

 
これを見て、どんなことを思う??

「ゴジラ、かっこいい!」
「近くで見たいー」
「誰が、考えたのかな?」
「どのくらいの費用がかかったのかな?」

それぞれ、色んな感想があると思います。

現時点の私が思ったことは・・・
「これは、ゴジラ本体よりも、建物に写るゴジラの影が、かっこいいなー」
「これも、計算して作ったんだろうなー」
「ん??スクリーン代わりになっているのは、マンションに見えるけど・・・住民からクレームは出ないのかな?」
「どうやって話をつけたんだろ?」
そんなこと。

職業柄、
きっと、世間の感覚から、
少し、ズレているんだと思います。

普通の消費者感覚に、
軌道修正もしなきゃ・・・と、考える。
同時に、
大金持ちになっている人って、
また、違った物事の見方をするんだろうな・・・とも、考える。

今の自分の感覚は「通り道」に過ぎない。
色んな人に、生きてきた時代背景や、環境からくる「普通の感覚」が存在している。
だから、
それぞれの「常識」から、
ひとつの物事を多面的に見れるようになりたいな..
そう思っています。

子供が見たら?20代が見たら?80代が見たら?どう思うのか?
女性が見たら?
外国人が見たら??等々。

色んな消費者の気持ちがわかるようになって、
そのうえで、一番ベストな選択ができるよう、訓練を心がけています。

・・・
あとで、調べてわかったのですが、
私が「マンション」と思っていたのは、実は、東宝・ゴジラ・ビル内のホテル。
このゴジラが、正面に見える部屋や、
「ゴジラルーム」とか、あるそうです。※1泊5万円!

なるほど・・・
そうゆうことだったのかー!



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