2017年9月29日 21:05
休日、バスケの試合の昼休憩中。
「フォトジェニックな1枚を・・・」とパチリ。
しかし、このあとの最終戦で、膝をグキリッ!
あらぬ方向に曲がったし・・・。
あー、やってしまった・・・。
ちょうど、去年のこの時期、指を骨折したんだなー。
で、パターンは、まったく同じ。
「チャーーーンス」と思って、
味方からの凄いスピードのパスを取りに行こうとした。
きっと、仕事でも、同じ。
色気を出して、無理にとろうとすると、こんな目に合うんだろうな。暗示してくれている。
敵は、外にいるんじゃない。
自分の中にあるんだ。。。2年連続で、怪我をしないとわからないダメ人間。
そして、もうひとつ。
(実は、これを書いて、残しておきたかった)
整形外科に行って、診てもらったとき、
先生が
「実業団でやってるの?」
だってーーー!!
ふふーーーん、そう思っちゃったのですか、先生!!
怪我をしているのに、かなりご機嫌なのです。
リップサービスだったりして?
もしかして、マニュアル化されてたりして・・・。
「客層別・相手を喜ばせる、わざと間違う質問」
葬儀の営業でも、なんか特集できそうですねー。
2017年9月24日 22:45
秋田本社のクライアントさんから、帰り際にいただいたこの食品。。
「とうふかすてら」
「独特の味と食感ですよ~、どうぞどうぞ!」と、紹介されて、ワクワク・ドキドキ。
でも、見れば見るほど、
ツッコミたくなる気持ちが、抑えきれない・・・。
これ、豆腐っぽいよね。
カステラみたいな味のする豆腐だよな。。。
だったら、
これ「かすてらとうふ」だろ。
メガネザルは、サルであって、メガネじゃない。
おばはんパーマも、パーマの種類を言うのであって、あくまで「おばはん」じゃない。
バーコードハゲは、バーコードじゃない、ハゲだ。ハゲの形状だ。
・・・
食べたら、やっぱり、どう考えても、豆腐でした(笑)
いや、待てよ。
「目玉オヤジ」・・・
あれは、目玉のようなオヤジであり、オヤジのような目玉でもある。
そうゆう意味では、フィフティ・フィフティだ。
ということは、
「どちらとも見分けがつかないくらい」という意味が含まれたネーミング?
秋田名物、深い・・・。
2017年9月24日 10:20
休日の各駅停車の新幹線の車内。
していない、貸し切り状態。
詳細は書けませんが、
最近、
「あのときのアドバイスを聞いてくれないから、やっぱりそうなる!」
「だから、言わんこっちゃない・・・」
ってことが、ご支援先でいくつか起きている・・・。
本日は、その後始末に急行。。。
そうなってからの立て直しは大変だーー。
ほんと、頼みますぜ~。
混ぜてしまった絵の具の色は、元に戻せない・・・。
それでも、まあなんとかしますけど。
遠回りしてしまっている感は、否めない。。
2017年9月18日 22:33
調子が悪いとき、どうやって元に戻すか?
自分でわかっている人と、
わかっていない人、
言い換えれば、それに対して「無知」「無関心」流されるままになっている人では、
立ち直り方が違う。
周りにも多大な迷惑をかけ、ジタバタ、ダラダラと立ち直る人と、
自分で、スクッと起き上がり、パンパンと埃を払って、歩いてゆく人。
これは、個人の場合も
商売の場合でも、同様です。
葬儀社の場合、説明のつかない不調に陥ることがあります。
施行の入らない日が、何日間も連続することです。
普通では考えられないほどに。
たとえば、2日に1件ペース、
月に15件平均で稼働しているホールなのに、
半月以上も、受注0が続く。。。ということが、起こる。
葬儀社「あるある」です。
「施行ゼロ行進」の日数を、
少しでも減らす対策は、3つ存在する。
これは・・・かなりのノウハウなので、
ここで公開するのは、やめときます。いじわるですが、ご容赦を!
2017年9月16日 8:15
事務所を引っ越すときに、整理した書棚の
「葬祭系・出版物」です。
「葬儀」を考えている一般のお客様は、
こんな書籍を目にしているかもしれない・・・と、読んでいます。
こんな風に、葬祭業界を見ている可能性もあるんだなー、と。
敵を知り、己を知らば、百戦危うからず。
敵は、ライバル店だけでは、なく、
お客様との競争でもあるのです。
2017年9月10日 9:15
もうひとつの旅の目的は、
西郷・大久保らの「維新の英傑を輩出」した理由を探すこと。
そのひとつが、
薩摩の武士階級の教育方法「郷中教育(ごじゅうきょういく)」。
幕末の薩摩藩の中には、約30の「郷中」と呼ばれる「町内会組織」があり、
若者の教育は、そこで行われた。
教師はいない。同じ町内に住む年長者から年少者までが集まり、
先輩が後輩を教え、後輩が先輩を敬い育つという、自治的な教育制度で、
郷中内では、家格の違いはなく、平等に扱われた。
午前中は、歴史書を教科書に読み書き、午後は体を鍛える鍛錬。剣術、馬術や討論もしたそうです。
基本方針は、義を実践すること。嘘は言わない。負けるな。弱いものいじめをするな。心身を鍛錬せよ。質実剛健たれ。
そのなかでも「加治屋町」という数百メートル四方の町(郷中)から、
西郷隆盛・従道の兄弟
大久保利通
東郷平八郎
大山巌、山本権兵衛
樺山資紀、村田新八、篠原国幹、吉井友美・・・といった英傑が巣立っている。
司馬遼太郎は、このことを
「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである」と評している
企業にも、なんとなく「郷中教育」みたいなものがある。
仕事上の役割としての関わり方、プラス
先輩と後輩の関わりが、多かれ少なかれ、存在している
そして「加治屋町」のように「優秀な人材を輩出する部署」も存在している。
ある店舗、ある部署からは、
次の店長、次のリーダーが、どんどん出現してゆく。
「加治屋町」のような「人材輩出」部署には、こんな特徴がある。
・平均以上の成績を上げている「ハイ・パフォーマンス・チーム」である。
・自由な空気がある。
・年長者、次の年長者が、仕事&会社好きである。
・非公式の時間でも、関わる時間が長い。
こんな部署風土からは、人財がたくさん輩出される。
「加治屋町」郷中も、そうゆう雰囲気だったのかな?
西郷や、大久保の郷中の先輩って、どんな人だったのだろう?
郷中教育は、誰が考えて、どうやって始まったのだろう?
現在のスタッフ育成に導入できることは、ないのかな?
男旅は、また来年。
でも「温故知新」の旅は、終わらない。
2017年9月9日 22:25
「コンサルティングして、伸びる企業は、どんな会社ですか?」
こんな鋭い質問を受けることがある。
「素直に、前向きに、100%、提案を実行してもらえること」
「軍資金=活性化の実行のためにかかるお金に、ある程度の余裕があること」
この2つを挙げる。
つまり、
言うことを聞いてくれて、実行してくれる。
会社の体力があるうちに、依頼してくれる。
この逆のケース
提案を聞いてくれない、その方向に協力してくれない、実行してくれない。
そのためのお金がない、余裕がない。
という会社は、非常に苦労する。
お金のほうは、売上を上げつつ、何とかできるけれども、
言うことを聞いてくれないのは、どうしようもない。
もしも自分が、
戦時中・敗戦濃厚の日本から「勝つ作戦を考えてくれ」という
依頼を受けたら、どんな作戦を立てただろう?
無いものづくしで、色んな制約があっただろう。
提案は聞いてくれただろうか?
果たして「特攻」以上の作戦を、考えつくことができただろうか?
「最悪になる前に、もっと、早く依頼してくれ!」
「なんでここまで、放っておいた?」
末期症状の会社からの依頼には、こう叫びたくなることもある。
だから、
戦時中の日本の、その立場で「特攻」という作戦を考えた人たちのことも、
完全には否定できない。。。とも感じる。
色々、考えさせられる・・・。
通りいっぺんだけれども、
やはり戦争をしないようにすることが一番だ。
そのためには、
責任の所在が明確なリーダーが、
常に勝てるように、冷静かつ客観的な判断をして、行動すること。
それしかない。
組織の意思決定に関わる自分は、
もっと、勉強&行動しなければならない。
平和を勝ちとる作戦。
無駄な血も、時間も、お金も、使わずに、勝つ方法はないのか?を追及する。
なんだか、結局、
普通の結論にしかならないけれども、
言葉だけでなく、本当に腹の底に落ちた結論である・・・という点では、
今までよりも成長できたのかなー。
西郷さんの最後の地・城山から桜島を望む。
2017年9月3日 23:24
「誰かのために、体を張って、生きてきた」
若い先輩方に感謝と、
私も同じ国に生を受けた男として、
そうゆう人間でありたい、という気持ちを、新たにしました。
それと、同時に、大切な命が特攻によって失われたことについて、
「コンサルタント=参謀」という職業とリンクして、思いが去来する。
特攻という作戦は、無謀ではなかったのか?
色んな思索がぐるぐる駆け巡り、未だ、答えが出ていない。
まず、
私は、コンサルタントとしても、リーダーとしても、大切にしていることがある。
「自分に、できないこと」
「自分が、身銭を切ってやれないこと」は、他の人に提案しない。ということです。
その結果、
作戦内容を実行していただく会社やスタッフさんに、
意味のない、無駄なことをさせることはなくなるし、
時間・お金の負担、体力的・精神的負担も、最低限に抑えることができる。
「ポスティング、1日で〇〇枚・・やればいいんですよ」と、
特殊な成功ケースを聞きかじっただけで、軽々しく話すコンサルタントもいる。
しかし、住宅の密集度によって、配布できる枚数は様々なので、
地域別の基準を作らなきゃダメだ。
体力だって、人それぞれで、普通は2時間やれば、もうヘトヘト。
実際に、やったから、
どの地域ならどのくらい配布できるのか?
どんなツールが良いのか?配布NGのマンションをどうすれば配布できるのか?
スタッフの不正をどうやって防げばよいのか?も、わかる。
「福島の原発は問題ない」と言った政治家は、
自分自身か、少なくとも、家族か親戚が、福島に移住するのが筋だと、思っている。
何時間か避難所を訪問して、テレビに流すのはポーズに過ぎない。
何日間か、自分が避難所で生活してみないと対策は出てこないし、
心情もわからない、と思っている。
そうゆう意味では、
特攻を指示した幹部は、特攻すべきだと考えている。
任務上、不可能なら、少なくとも、自分の子供を特攻隊に入れるべきだと。
いつの時代も、どの国でも、
戦争は、年寄りが始め、若者が犠牲になる。
そこで・・・・
「特攻作戦を考えた人」とグーグルで検索してみる。
そうすると「特攻作戦の生みの親」と言われている二人の名前が出てくる。
大西 瀧治郎・海軍中将は、終戦後、割腹自殺。
宇垣纏・海軍中将は、玉音放送後、自ら部下とともに特攻。
大西中将の自殺は壮絶だった。
切腹しただけでは、人は死なない。
介錯により首を刎ねられなければ、絶命しない。
「自らの死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝す」と遺文を残し、
介錯なしで、自ら腹と首を切った。
数時間後、絶命せずにいるところを、人が見つけて病院に連れて行くも、
介錯も、延命措置も、拒んで、翌日、死ぬ。
苦しみを自らに課して死んでいった。
宇垣中将の降伏後の特攻は、違反だと思う。
しかし、身勝手ながらも、彼なりの責任はとっている。
このような史実を知ると、
作戦を立案する者としての「矜持」は同じだったのか・・・と思う。
無責任に特攻させたわけではないことは、理解できた。
もちろん、
この二名が特攻を考えた代表のように書かれているが、
実際には、特攻作戦立案にかかわった人や、
それを推奨した人で、責任をとらない人も、たくさんいたはずだ。
「手柄は奪い、責任はなすりつける」大きな組織にありがちな特性。
現在の日本の政治家や、リーダーに、
覚悟を持って、仕事をしている人間が、どのくらいいるのだろうか?
2017年9月2日 21:36
夏の恒例行事となってきた「男旅」
鹿児島へ。。。
ごクライアント葬儀社の社長、幹部の皆さんには、
鹿児島出身の方もおられ、皆さん好漢(=快男子)揃いなのです。
さすが、現在の日本の礎を作った、薩摩藩。
薩摩隼人たち。
そんな憧れも手伝い、空路、南へ。
目的のひとつは、
「知覧特攻平和記念館」に行くこと。
太平洋戦争下、沖縄に進攻してきたアメリカ軍を食い止めるため、
爆弾を積んだ飛行機で、乗員もろとも、敵艦に体当たりをする・・・という
特殊任務の攻撃隊=特攻隊の出撃基地があった場所です。
館内には、
特攻隊員1000名の遺影写真と、
遺書が展示されています。
まず、
写真のお顔が、皆、凛として大人びていて、
文字と文体が、とても綺麗なことが、印象に残ります。
遺書は、文語体で書かれているものも多いため、
内容や意味を完全に汲み取ることが難しい部分もあります。
でも、
「明日、身体を粉々にして死ぬことの確定した男が、一番大切な人に残した文章だ、
意味を完全に把握できなくとも、とにかく1枚1枚、全てに目を通すこと!」
それが、今の平和な日本に生きさせてもらっている男に課された、
最低限の義務であり、礼儀だろう・・・。
そのあと、何を思うかは、それぞれの自由。と、各自、見学。
残される父母への感謝の言葉と、これからのことを気遣う言葉。
恋人や子供への最後のメッセージ。任務の全うを誓う言葉。。。
一見、何でもない普通の言葉にこそ
その底にある、大きな感情を、窺い知ることができます。
もしも自分が、同じ時代、同じ立場となったとしたら、、どんな遺書になるだろう?
あまりに決断と思いが大きすぎるがゆえ、
すでに心の整理ができていて、
逆に、特別な言葉や、感情を素直に、書くことはないだろうな。と感じる。
どうだろう?
抑えていた感情が一気に、あふれてしまった瞬間があります。
どなたのものなのか、
言葉も、正確には覚えていない。
遺書の主文を書いたあと、
父、母、恩師・・・それぞれに宛てた文があり、
その最後に、おそらくは親戚の子供たちに宛てたメッセージがあった。
「敵機は来ますか?」
長い文章の中の、この言葉を目にしたとき、涙が止まりませんでした。
自分が戦うことで、
愛する家族を戦火から守れるかもしれないならば・・・
そうゆう使命感で生きた人たちの本質と、優しい心。
特攻隊員の根底に共通しているものを、一気に感じ取り、
涙腺が。。
「敵機は来ますか?」のあとは、こんな風に続いていたと思います。
「敵機なんて、なんでもないですよ。
これから、〇〇兄さんが、倒してきますからね。
よく勉強し、体を鍛えて、父母を助け、日本のために・・・」
まるで、自分に宛てて書かれているように感じます。
もちろん、特攻隊員だけではない。
各地で戦闘に参加した人も、しなかった兵員も。
国内で働いていた人も、女性も子供も・・・当時、みんな必死だっただろう。
記念館は、撮影禁止のため、知覧の武家屋敷をアップします。