2024年3月10日 9:01
映画「ザ・コンサルタント」親父の名言シリーズ。
これで最後にしますね・笑
今や死語となりつつある「ハードボイルド」を、やっているから、
つい、記録しておきたくなる。

お前は、同級生に殴られて、楽しいか?
・・・・
そう、コンサルタントの仕事をしていても、言いたくなる!!
「社長、同業者に、客をとられて楽しいですか??」

逆らわなければ、好かれると思っているか?
・・・・
そう、好かれないね。
大人になってからの仕事も、同じやで!!
好かれたい?
それなら、何かひとつ、
自らの努力で突出したもの「一番」を持つことである。
つまりは「周囲から一目、置かれる」ということが大事なのである。
勉強が得意なら、それを。
全部じゃなくても、9科目の何か一つでも。
体育なら、それ。
全部じゃなくても、何か一つの競技でも。
優しいことなら、それ。
他人からの評価において、
何かひとつ「一番」を作れば、好かれるんだ。
ヘラヘラと、みんなに迎合するなよ。
チャラチャラと、見た目や外見、
インスタやYoutubeで、くだらん趣味嗜好、消費に時間を費やすなよ。
そんなことで、好かれることはない。
商売も同じです。
2024年3月3日 20:26
「ザ・コンサルタント」というアメリカ映画より。映画名言シリーズ第三弾。
日本作品名で「コンサルタント」ですが、
原作名は「The Accountant」つまり「会計士さん」である。
会計能力が天才的で、かつ、裏社会からの依頼もこなす。
バイオレンスでも無敵。弱者に優しい。という会計士が、事件に巻き込まれ、悪を退治する物語。
私好みの良い映画でした。
世の中にアジャストできない。音や光に神経過敏。
しかし、ある分野で、凄い能力を身につけている。
という自閉症の少年が、上記のようなスーパー会計士に育つ。
少年期、精神科で、医師に「彼に優しい環境で育てたほうが良い」と、
施設での生活をすすめられる。
しかし、軍人上がりの父親が、こう言って、その申し出を断る。
「これからの彼の一生には、優しい環境などない。
厳しい世界の中で生きてゆけるようにすべきだ」
母親は、この生活に耐えきれず、家を出てゆく。
父親に「闘うこと」を、徹底的に訓練させられる。
異質なものを、人は恐れる。

同級生にいじめられた後、反撃を遂行させるこの父親、
その父親が、自閉症の少年に「なぜ、嫌われるのか」という理由を、伝えた言葉である。
「本来あるべきところ」にないものを、人は汚いものに見る。
髪の毛が、頭にあるときは、安心。
しかし、抜けて床に落ちると汚く思ってしまう。
唾液は、口から出て、「つば」になると嫌がられる。
爪は、切って落ちると嫌がられる。
人は「あるべき場所に、その物がない」と、日常を壊すものと思ってしまう。
ジェンダーも同じ。
会計士を育てたスパルタ親父の名言と同じである、
真理である。
「異質」を恐れるから、忌み嫌う。人間は「弱い動物」なのである。
いじめや差別は、そうして起こる。
この真理=根本原理を、多くの人が知ることが、解決の基盤となる。
つまり、「いじめは良くない」「差別はダメ」などと、倫理的に教える以前に、
そもそも「なぜ、いじめや差別が起こるのか?ずっとなくならないのか?」
その根本原理を、論理的に教えたほうが良い。
いじめる側や、差別する側、その人自身が
「弱い」「恐れている」だから、異質さを攻撃する。
その事実認識からスタートすれば、少しは減るのでは?
いじめ的、差別的感情が、湧いたとき、
「あ、オレ、今、異質を恐れてるんやな・・」と思い出せば、ブレーキがかかる。
2024年2月24日 21:21
京都大学と吉田寮は「プロレス」している。
「トムとジェリー」のようなものである。
↑↑夢のない現実主義者の私が大好き、数少ないアニメである。
(仲良くケンカしな♪)ということである。
つまりは、
文春と松本も「プロレスのようにやってほしい」ということが、言いたい。
結局、共存共栄なのである。
どちらかが、倒れるまでやっちゃダメなわけで。
「生きる道」を残しつつ、
双方で「作品」「歴史」を作れば良い。
コンサルティングにおける私の得意分野である「競合店との戦い」。
その特長は、
こうゆう「プロレス要素イメージ」も、頭にいれながら、行っていることにある。
100%以上、120%のパワーを注いで、
「クライアントが勝つこと、生き残ること、売上・利益が上がること」
そのためには「競合店からお客様を奪い取ること」を至上命題として、
生々しく、シリアスで、現実味あふれる支援している。
しかし、さらに、その上に「30%くらいの足し算」で、
競合店との「闘争」を、
プロレスや、トムとジェリーのように考えながらも、施策を考える。
徹底的に自らの存在をかけてトコトンやる!! でも、そのなかに、
自社と競合他社が入り乱れて「市場」という「作品」を作り上げていることを、
俯瞰して考えている。
プロレスや、スポーツなどで、全力の戦いを観たお客様が、盛り上がって喜んでくれているのと同じように、
消費者が、同業者同士の真剣な戦いを見て、盛り上がってくれることを、視野に入れる。
(おおー、やってるなー。どっちを応援しようか・・・)
そのなかで、私のクライアントを応援してもらえるように。
それを足し算して、戦いを進める。
(お、ライバルはそうきたかー。そうすると、次は、こうなるな。。)
それを見た観客(消費者)は、こうゆうイメージを持って動くから。。
なんてことを、やっている。
商売における、勝ち負けは、お客様の支持の獲得。
=お金を払っても良い。と思われるかどうか、なのである。

映画「イースタン・プロミス」より
・・・・
小学生、中学生のとき、
発狂したように必死で本気でケンカするヤツを、周りのみんなは支持しない。
勝っても、負けても、引き分けでも、
可愛げのあるヤツ、優しさのあるヤツ、筋の通っているヤツ、戦い方に優れているヤツ。卑怯ではなかったヤツが、
長い学校生活のなかで、みんなに好かれていた。
そうでないヤツは、長期的に見れば、支持が集まらない。
法人だって、そうゆう感じである。
2024年2月18日 20:56
京都の街には、東側・縦方向に「鴨川」が流れている。
京都の市内の北エリアを横方向に走る「今出川通り」には、
この「鴨川」を境として、
西側には、同志社大学。
東側には、京都大学。がある。
同志社学生は、基本的に、鴨川の東=京都大学のテリトリーに入ることはない。
ボリューミーで美味しい定食屋があったとしても、
「川」という地理的分断要因と、
「学校」という所属&階層的分断要因により、立ち入ることが少ないエリアなのです。
この京大生テリトリーの中でも、特に「ヤバいエリア」が存在する。
同志社側から見れば「京大の最も京大らしい場所」・・・
京都大学の左翼系学生たちが住んでいた(今もいる?)学生寮「吉田寮」である。

私が学生当時、ドキドキ探検に行ってみたころと、ほとんど同じ風景である。
古い木造建物に、物が放置された庭、洗濯物、ニワトリ(=締めて、食糧とするらしい)、
入口には、過激派?的な看板やポスター「ゲバ字」といわれる手書きで、
「阻止!反対集会」「公安排除」「粉砕」「闘争」「連合」など、
お馴染みの文字が並んでいた。
今となれば(こうゆう場所いいなあ、寮生活もいいなあ)と思えるが、
それは「今のこの生活に戻ってこれるなら」という前提である。
ちなみに当時20歳前後の私は、こんなところに住むのは「絶対イヤ!」だった。
(変な友達が住んでて、時々、遊びに行く)くらいが理想であった。
何年も前「吉田寮・取り壊し決定」のニュースが流れていた。
(おおー、もったいないなあ~!時代の終わりだなあ)なんて思っていたら・・・

なんと、まだ、存在しているではないか!
驚いたー!!!
(そうか、頭の良い京大生の反体制派の巣窟、、ナメたらあかんな。。)
寮の近くのレストランにて「吉田寮通信」なるのものを見て、健在を知る。
こうゆう時代に、ちょと嬉しくもある。

立ち退き裁判で、大学側と争っているのね。
「実は、これ、プロレスみたいなものです」
と、京大出身の知人が教えてくれた。
つまり、双方、相手が完全に倒れるまで、徹底的に本気でやるつもりはない。
大学側も築100年の耐震に問題のある建物を放置しておくわけにはいかない。
形式的に、何年間も戦っている。
「潰す」「潰すな」とやってること自体に大義名分と価値がある。
どうやら、そうゆう模様である。
「プロレス」とは、争いながら、闘いながら、双方で作品を作っているものである。
※つづく
2024年2月17日 20:12
解決に困っても、頼らないほうが良いもの。
ヤクザ。議員。
それに、裁判所。
ヤクザと議員は、ほぼ同じ。
一度頼むと、何かにつけて、色々要求してくる。
・・・・
ちゃんとした「弁護士」は、知り合いがいたほうが良いけどね。
使いこなせるならば。
「刀」を持っているのと同じこと。
バカは「なまくら刀」を、下手なくせに、振り回す。
賢い人は「名刀」を、日々鍛錬して、持ってるだけ。
武士が人に向けて、一度「刀」を抜いたら、命のやりとりになる。
現代、一般人が、「殴る」「蹴る」も、同じこと。
鍛えておくことは大事。でも決して使わない。見せびらかさない。
・・・・
松ちゃん、裁判所、頼んじゃったね。。
基本的には、その時点でダメだわ、
たくさんのお金があって、
「法に問うてみたい」という要素が大きくて、やってみたんだろうけど。

「お世話になった枠」で、書棚に残っていました!

内容は、95%つまらないです。
この中に、自ら「女好きのチャンピオン」とは書いてます。
『オレにチン〇がついているのではない、チン〇にオレがついているのである』と・笑
2024年2月10日 20:52
「事実無根なので、闘いまーす」
↑↑Xでのダウンタウン松ちゃんの初期の発言。
「ここで、間違えたと思ったね、
どのようにでもとれるように発言しなければならない」
国家公務員、つまり「官僚」の友人は、そう教えてくれた。
さすが、エリート官僚や!!笑
「事実無根」と言ってしまえば「全面的に事実と異なる」ということである。
「いつも、逃げ道」を作っておかなければならないそうである。
おそらく・・・
「性加害」を事実無根だ。と、言いたかったのだろうけど、
「飲み会の開催」も事実無根だ。と、とらえられてしまう。
「事実と異なる部分が、あるように記憶しています」とか
「一部、事実と異なる点があります」
こんなところが、官僚的・正解発言らしい。
【発言・文書は、一言・一字まで、慎重に】
船井幸雄会長が「社長の心得」として、
次の社長を本告さんに譲るとき、残した10の箇条書きのなかの1つがこの言葉である。
官僚や政治家的な答弁も、イヤだろうから・・・
「私には、全く、そうゆう認識はありませんでした」
「でも、相手方が不満に感じておられるなら、それは申し訳なく思っています」
「事実確認が不十分なことを報道されることについて、遺憾なので。闘います!」
このくらいの「正直さ」「潔さ」のあるコメントで、良かったのでは?
最初のボタンを掛け違えると、
ずっと、違ったまま、進んでゆく。
リーダーの最初の言葉は、慎重に、大切に。
2024年1月20日 20:35
オレに、良いところが、ひとつだけあるとすれば、
【すぐ、頭に来ること、腹を立てることじゃないですかね】
・・・・矢沢永吉さんのインタビューより。

幼少期、永ちゃんは極貧生活であった。
生活保護の家庭で、
タダでもらっていた教科書、給食(=裏口で配給)それにムカついた。
「絶対に上に行ってやる!」と思った。という。
小学高学年のとき。
ラッキー、無料だ。
何もせず、お金をもらえる。
どうすれば、これを続けてゆけるか?
そう考える「卑怯」な人間ではなかった。
どうせ頑張っても、無理だから。。と考える「卑屈」な人間でもなかった。
裏の道に入ってパワーを発散する「卑劣」な人間でもなかった。
自分以外のせいにせず、
真っ向から、問題の解決に立ち向かう「反作用」があった。
この点、家康と似ている。
一般的には、家庭環境が悪いと、本人も「卑」の要素を持って、育つ。
ズルいことを平気でやる、楽なほうを選ぶ、自己都合と言い訳のオンパレード、、
ダメ人間になってしまう可能性が、非常に高い。
しかし、100人に1人、数パーセントの割合で、
永ちゃんや、家康。。。
身近な例で言えば、悪環境から1代で事業拡大する経営者。。。
とてつもない「反作用パワー」を発揮するモンスターが生まれる。
すぐ、頭に来ること、ムカつくことは良いことだ。
真っ当な、腹の立て方をしよう。
男は、反発係数が高くないとダメだ。
https://sousai-keiei.com/nakanishi/blog/2013/01/08/
10年前のブログでも書いていますね。
基本ライン、ブレてない・笑
2024年1月13日 21:32
三河武士は、忠義に厚く、勇猛である。
と、言われている。
これは、家康による「プロパガンダ=情報操作的な広告」である。
(と、私は妄想している)
理由を説明する。
祖父・清康は、25歳で家臣に殺される。
父・広忠も、24歳で家臣に殺される。
殺したのは、もちろん「三河武士」である。
「忠義」とは、程遠い家臣団の中に、家康はかえってきた。
さあ、そこで、どうするか?
普通は、「こいつら、もう信用しない!」
最悪「人間自体、信用できない!!」となる。
自分に置き替えてもらいたい。
何代も続く会社を経営している会社に生まれた。が、
父も、祖父も、2代続けて、
会社の幹部に、財産を持ち逃げされて、自己破産の憂き目にあっている。
そうゆう会社を引き継ぐことになった。
現代で言えば、そんな感じである。普通、人間なんて信用できなくなる。
でも、家康は、普通じゃなかった。
「ならば、俺が忠義の家臣を作ろう。平和な世の中を作ろう」と考えた。
ここが、天下人たる所以である。
強力な家臣たちを育成して、勝ち残る。
「三河武士は、忠義に厚く、勇猛である」
これは、過去、そうではなかったから、
今からは、そうであって欲しい。という願望である。
(父も、祖父も、家臣に殺られた。自分もそうなるかもしれない)
それを、なかったことにしたい。なくしたい。
コンプレックスであり「強い反作用」である。
・・・・
「スローガン」とは、そうゆうことである。
「こうあって欲しい」(今は、全然、違うけど・・・)という願望を、
いかにも事実のように、言葉にして発信し続ければ、
そのうち、本当にそうなってくる。
『○○会社のスタッフは、○○だ』今、できてない。
けど、そうあって欲しい姿。今と真逆のフレーズを言い続けてみてください。
これを、プロパガンダ、マインドコントロールと呼ぶ。
一般的には、良い意味では使われない、マイナス・イメージ用語である。
が、組織運営やマーケティングには、必要な要素である。
古来、「毒」をうまく使いこなす者だけが、「良薬」を作ることができる。
ペニシリン、アスペリン、ケシ、アヘン、モルヒネ・・
本来、毒であるが、良薬となる。
2023年12月31日 20:27
12月のブログに書いてきたのは、
自分の若いころに影響を受けて、今年、亡くなった人たちである。
ここには書いていないけど、
突っ張りの寺尾も、上岡龍太郎も、ムツゴロウさんも、
宇宙戦艦ヤマト&ハーロックの松本零士さんも・・・
何回かシリーズ的に書いたことの共通点は、
「あの人から、こうゆうことを学んだ」
「肉体としては消滅したけど、
こうゆう部分を、自分のなかに“インストール”している。
だから、彼は自分のなかに生きている」
ということである。
私に「なぜ、生きているのか?」と聞かれれば、
私も、広く深く、そのような存在となるために、生きている。
つまり、
自分が死んだとき、
「ああ、アイツから、こうゆうことを学んだな」ということが
ひとつだけでも、残ればよい。
時間も空間も超えて(つまりは、後世や別の場所で)
自分と関わりのない、誰かが、そうゆう人がいたのか!!と、
参考にしてくれるなら、もっと嬉しい。
それは、凄いことである。
葬儀は、それを再確認する場と時間である。と考えている。
今年、話題になったジャニーさん(性的加害)や、
安倍さん(統一教会、裏金)のことは、その対極である。
・・・・
谷村、YMO。。。各分野の巨匠が、天に召されたので、
永ちゃんは、大丈夫か??
生きているうちに、会いに行っておこう!
と、理由をつけて、急遽、前日に参戦決定。

74歳、でこのパワー、、すごい。
※太っちゃダメだな。勉強になりました。
2023年12月2日 21:47
人間を、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)と位置づけたのは、
オランダの歴史学者ホイジンガである。
「遊戯」が人間の知的活動力の源である。と発表した。
道具を作る(ホモ・ファーベル)/知能がある(ホモ・サピエンス)と並んで、
ヒトがヒトたる所以とも言える。

自由に、ストレスなく、試行錯誤をしてみること。
失敗しても許される状況で、面白がって、色んな方法を試してみること。
遊びこそ、進化と成長の糧である。というのである。
レジリエンス尺度(困難を乗り越えて、精神回復する力)と、
遊び経験は、比例する。
・・・・ご存知の通り、うつや引きこもり、ストレス耐性の低下などが、今、増えている。
つまり、
幼少期、たくさん遊んだ。
遊びや、遊び心を、大切だと感じる人は、
不測の事態、困難な事態にどう立ち向かい、考え、行動するか?に、強くなる。
イタリア人は、レジリエンス尺度が強そうである。
追記・・・その1
集団同士で競い合う「遊び」=チーム競技は、人間しかできない。他の生物はできない。
集団内での協力関係が生まれる。競い合った相手集団とも仲間になる。
集団競技経験者が、社会で活躍しやすい根拠かもしれない。
追記・・・その2
大人は実社会において、社会的ステータスの逆転は難しい。
が、遊びの中は、それをリセットした、ステータスの疑似体験空間となる。
ゴルフとか、麻雀とか、サークル活動とか、、あと、JC活動もそれにあたるだろう。
2023年11月18日 20:01
日本シリーズは、阪神が勝った。(めでたい!)
が、予想としては「オリックス勝利」が正しいものだっただろう。
根拠の要因のひとつは、ベーシックな過去のデータにある。
この20年間の日本シリーズは、パ・リーグ制覇チームの16勝4敗である。
直近10年間でも、パ・リーグの8勝2敗。
オールスターゲームでも、ずっとパ・リーグのほうが強い。
パの優位は、崩れていない。
セ・リーグ球団は、5回やって1回、勝てる。
確率としては、そのくらい。という実績データである。
この確率を覆せるだけの要素が、果たして阪神にあったか??
「パ・リーグ優位」の原因は、DH制にある。と言われている。
投手が打席に立たず、投げることに専念する。
一方で、打線には守備につかず、打つこと専門の指名打者がいる。
専門特化することで、練習の質・量が増し、
コンディションも整い、出場機会も増える。
個々の選手の能力が高まり、強くなる。というのである。
以前のブログで伝えた「生物の共進化」は、こうゆうところでも起こっている。
https://sousai-keiei.com/nakanishi/blog/2019/01/12/
投手が強くなる⇔打者が強くなる。共に進化する。
「セ・リーグも、DH制を導入すべきである」との声が、出ている。
以前、セ・リーグの監督たちにインタビューしたTV番組があった。
多くが「DH制導入、賛成」であった。
巨人の原監督は、その旗手である。「導入しない理由がわからない!」と。
毎回、セ・リーグの覇者として日本シリーズに出ては、
ソフトバンクはじめ「共進化」を遂げたパ・リーグの猛者たちに、
こっぴどくやられて帰ってくる・・・。
その苦い思い出から、強化の必要性を、身をもって痛感しているからであろう。
岡田監督は、数少ない反対派であった。
理由を聞かれて
「全体の是非はともかく、監督として言えば、
監督の仕事の醍醐味がなくなるよね」。と、答えていました。
「投手の打順を巡る選手起用、流れの読み」を「醍醐味」と捉えているのである。
両リーグの監督を経験している岡田監督は
「パ・リーグの監督は、試合の中での仕事が少ない」とも言っていた。
このインタビューを聞いたとき、
「この人は、きっとやるなあ。本物。玄人だ!」
「戦力で劣っていても、指揮の力で、勝てることがある、と知っている人だ」
と感じたものでした。
DH制・反対派の監督が、
DH制・パ野球に勝った。という点において、
今年の阪神タイガース優勝は、とても価値が高い。
奇をてらわず、オーソドックスなスタイル。と言われる岡田采配。
現役時代の終盤、オリックスに移籍。コーチも努め、
仰木監督の「猫の目打線」「仰木マジック」を、経験したうえでも、
その流儀をそのまま踏襲せずに、
「固定打線」「センターライン強化」「ディフェンス重視」のオーソドックス・スタイルを貫く。
日本シリーズ・不調明けの湯浅の起用。
初戦前の山本由伸へのコメントなどには、「仰木流」も感じるけれど。
「良く現場を観ている、観察しているなあ」というのが、私の感想である。
そして、セ・リーグ優勝決定時のコメントにも好感が持てる
「選手たちは、まだまだ上手くなりますよ」
(野球が上手くなるよう、もっと練習しろ!)の裏返しである。
さて、来年以降、どうなってゆくのか。
阪神タイガースに、
過去の名チームのような「黄金期」は、おとずれるのか??
楽しみに、学んでゆきたい。
2023年11月11日 20:46
阪神タイガース・岡田監督の注目される采配のひとつ、
それは、試合に勝つために「四球=フォアボール」を重要視し、それを選手に指示したこと。
打者が、四球で出塁することが勝利につながる。として、
ヒットを打つことと、同じ年俸査定とした。
WBCの日本代表チームを率いた栗山監督は、
「三原マジック」名将・三原監督が書き綴った「三原ノート」の写しを譲りうけ、
その内容を研究している。
「野球の本質は、四球にあるのではないか」
勝利の極意は「エラー」や「四球」にあるのではないか?と読みとる。
WBCでは、これが活きて、優勝する。
「当たり前のことを、徹底的に行った後、マジックが起こる」と振り返っていた。
野球好き社長が、個人ラインに
あれやこれや(面倒な)野球談議を仕掛けてくる・笑

岡田監督の「四球重視」の話にも、トークが及ぶ。
趣味の野球の話をしている。と、安心しているであろうところへ
突如、仕事についての質問を飛ばす!
野球と経営を根本的に結び付けた「野球・経営問答」。
「経営にとっての四球とは何か?」との質問に、
返した側は、年商30億円、健全経営へと導いている敏腕社長。
さすが・・・見事な答えである!
達人同士のライン会話です・笑
皆さんの会社にとっての「四球」は、何ですか?
ヒット=売上アップ。それと、同じ価値があることです。
2023年10月21日 20:57
古戦場は、決まって、寂しい場所にある。
戦いがあったから、人が住まなくなったのではない。
そもそも、人が住んでいない、戦術上の要地で、軍隊同士「戦い」は行われていた。
古今東西、長い歴史の中、「戦い」は、基本、このスタイルだった。
住民の恨みを買い、生活インフラを壊したら、
後の統治が難しくなる。復旧に時間とお金がかかる。そうゆう側面もあっただろう。
市民とインフラ=生産力を無事に残して、とったほうが、価値が高い勝利。
だから、軍隊同士が、軍事・戦術拠点を巡り「会戦」する。
いつから一般住民が住んでいる場所で、
住民を巻き込み、住民を殺戮するスタイルの戦争が「当たり前」になったのか?
戦史を調べてみると、、
第一次世界大戦から、人類は明らかに狂ってきた。
(飛び道具的な兵器が増え、自分が殺す人の顔が見えなくなった)
白人によるインディアン戦争も起源かな?
(異民族に対して、何でもアリになる)
ヒトラーによるロンドン空襲。
もちろん、日本への空襲、広島への原爆。。
そして、現在、
イスラエルとパレスチナ。ユダヤ民族とアラブ民族の戦い。
ロシアとウクライナも。。市民を巻き込む。
一般住民の暮らしの場を、戦場とする。
『ケンカするなら、オモテでやってこい!』
幼少期・学生時代、親や先生から、言われていたフレーズ。
家の中、校内の「生活インフラ」を守るため &一度、冷静にさせるため、である。
本物の戦争も、昔はそうやっていたのである。
暮らしの場から離れた場所を「いくさば」とした。
だから、古戦場は寂しい場所にある。
今や、現地で生活をしている生身の人間が、苦しむ姿を見ることなく、
自分は空調の効いた安全な部屋から、ボタン操作だけで、人を殺すことができる時代。
人類は、技術的・科学的進歩をとげてきた。
が、精神的・情理的・道徳的には、退化・劣化している部分も多い。
共に進歩しなければならない。
2023年10月15日 20:19
源氏は、強い。
けど、身内同士で殺しあう。残忍・粗暴なところがある。
平家一門との比較で、以前のブログに書きました。
https://sousai-keiei.com/nakanishi/blog/2017/06/24
どうやら、源氏の良いも悪いも、
この「八幡太郎・義家様」に、ルーツがあるらしい。
ということが、今回の「途中下車の旅」で、わかってきた。
後三年の役は、日本史上・初の「兵糧攻め」を行った戦い、とのこと。
義家は、城から出てくる非戦闘員の女・子供を、
城の目の前で見せしめに虐殺した。
それを恐れて、城内に非戦闘員がとどまる=兵糧が早く尽きるからである。
展示されていた「大好物」絵巻物で、ご紹介。

さらに、合戦中に悪口を言ってきた敵の大将を捕らえて、
木に吊るし、舌を抜き、
足元に盟友の大将の首を置いて踏み台にさせ、、殺した。

ちなみに、
20年前の「前九年の役」では、父・頼義が
敵の武将・藤原経清を捕らえて、首だけ上に出して生き埋めにして、
わざと刃こぼれさせた刀で、のこぎりのようにして首を挽かせた。
経清の元部下に、それをさせた。
これは、大河ドラマ史上、最も残虐な最期のシーン。
今は放送できないくらい悲惨なシーンである。良く覚えている。
若き日の渡辺謙さんが、経清を演じていた。
源氏の流儀は、現代の「ヤクザ」みたいなのである。
そもそも、源氏というのは、天皇の血をひいた武士。
だから、地方に行くと「源氏」というだけで、稀少性が高く、カリスマ的に尊敬を集めるのである。
「皇室ゆかりの暴力団」である。
・・・確かに、そうゆうのがあったとしたら、最強だ。
この通り、首を並べる。

今の感性で見れば、残虐、ヤクザ!って思うけど、
当時は、こうゆうことが、当たり前の感覚の世の中だったのでしょうね。
当時は、「封建主義社会」の黎明期である。
並べられた「敵の首」は、
現在「資本主義社会」で言うところの「お金」に相当する。
今「いや、キミ、いくら頑張ったっていってもねー、
入金がないと意味ないよ。給料あげられないよー」
昔「いや、キミ、いくら活躍したっていってもねー、
首ってゆう証拠がないと意味ないよ。土地の権利は、認めてあげないよー」
「首」は「売上金」と、同じである。
2023年10月14日 20:48
もうひとつ、このときの歴史を書き留めておく。
こちら「鎌倉権五郎」ゆかりの建物。

源義家軍の16歳の若武者であった。
戦いの中、矢が目に刺さる。刺さったまま戦い続け、逆に敵を討ち取る。
苦しみながら自陣に帰ったところ、
従兄が、その矢を抜いてやるために、権五郎の顔に足をかけた。
すると、権五郎は怒り、従兄に斬りかかった。
その理由は、こうである。
「武士だから、矢が刺さり死ぬのは本望である。
しかし、生きたまま土足で顔を踏まれるのは恥辱である。お前は敵だ!」
従兄は、謝り丁重に矢を抜いた。
今の常識で考えるならば、笑ってしまうような事件である。
今、こんなことで怒ったら、単なる「ややこしい男」である。
怒るとしたら・・・(痛い!!お前の抜き方、下手すぎるやろ、痛いねん!!)
「肉体的な痛み」に対して、怒るかもしれない。
鎌倉権五郎のエピソードは、
「名こそ惜しけれ」という坂東武者・鎌倉武士のモラルと心意気を端的に示している。
以来、日本人の心根に流れる精神の源である。
「名」というのは、自分の名前。
自分の名前を傷つけるような「恥ずかしいことはするな」ということ。
司馬遼太郎さんは、この「名こそ惜しけれ」の精神を
「今も、一部の清々しい日本人の中にある」と表現した。
何とかその「一部」に、引っかかっていたいな。。。
もちろん、私は、公明正大・清廉潔白な人間ではない。
人に言えないようなことも、たくさんある・笑
ただ、以前のブログでもお伝えした
「He is not a good man ,but a fine man」
=彼は「良い男」ではない、しかし「立派な男(真の男)」だ。的には、生きてゆきたい。
鎌倉市街地には、権五郎を祀る「御霊神社」があり、
歌舞伎の演目としても、演じられている。
確かに、、仕事で関わる皆さんを思い返しても、
東の人物のほうが「名こそ惜しけれ」的思考をされる方が多い。
2023年10月8日 21:29
「後三年の役」にて。
義家の軍勢が進んでいくと、上空に雁が列をなして飛んでいる。
が、突然、雁の群れの列が乱れた。
それを見て、義家は敵の伏兵(待ち伏せ作戦している兵)を察知。
逆に、敵兵を囲んで、やっつけた。
「孫子の兵法」に
「雁の乱れは、敵兵がひそんでいることを示す」とあったのを、
実戦に活かして、危機を脱した。という有名なエピソード。
このエピソードには、前日譚がある。
「孫子の兵法」は、若き日、京都で大江匡房(まさふさ)から教わっていた。
「後三年の役」から遡ること二十年前、
「前九年の役」で戦勝した若き義家が、京都に凱旋した。
そのとき、大江匡房が、
「器量は賢き武者なれども、なお軍(いくさ)の道を知らず」
(勇敢で素質はあるけど、兵法の原理原則を知らんな、勉強しとらんわ)と、
義家本人のいないところで、評した。
そのことが、義家の部下から義家本人に伝わった!!
が、
義家は、腹を立てず、「そりゃ、確かにそうだ」「教えて欲しい!」と、
匡房の弟子となった。と伝えられている。
若いときから謙虚に師事し、実戦に活かし強かった源義家、
こうゆうところも「八幡太郎義家公・・・・」と、敬われ続ける所以である。
マニアックな、小さな資料館があります。
私の大好物「絵巻物」が、解説付きで展示してありました。

「雁行の乱れ」のページです。
このあたりを雁が飛んでいたのかな?
オレが伏兵を潜ませるとしたら、このあたりがいいな。。。

何もない場所だけど、そうゆう雰囲気はあるので、
マニアは楽しめます。
2023年10月7日 21:06
「八幡太郎 源義家公以来・・・・・・」
歴史ドラマを観ていると、
後世の武将が、自己紹介するときや、演説するとき、
自らの正統性を主張するため、良く出てくる言葉です。
源義家って、強くてかっこいい武将なんだろうな。
(だいたい「太郎」という名前そのものが、カッコイイ。憧れの名前なんだよ!)
と、思っていました。
具体的に何をしたのか?とか、
歴史の重要ファクターには、あまり関りがない。
でも歴史好きなら、きっと「グレートな存在」なんだろうなー。くらいには知っている。
そうゆう武将です。
源頼朝から4代前の先祖。
前九年の役(このときは父・頼義と共に)、
後三年の役(このときは、弟・義光と共に)、京都から東北へ遠征して、
安倍氏、清原氏の内紛に介入し、戦いに勝利して収めた。
が、「後三年の役」で、戦費も恩賞も、国から支給されなかったのである。
義家はじめ武士たちは、国のために戦った。と思っていたが、
「義家が私闘に勝手に介入した」と認定されてしまったのだ。
このとき、源義家は、
関東から戦いに参加していた武士団に対して、
私財を投じて、恩賞を与えた。
もし現代、自分が、こうゆう場面に直面したとき、
私財を投げうってでも、協力してくれた人たちに報いることができるか??
お金を捨てても、名誉をとる。
仲間のために、恥ずかしくない行動をとる。
これが、3~4世代、語り継がれて、
それから、約100年後、
義家の子孫、頼朝の挙兵に、関東の武士団が集まるのである。
歴史に学べば、こうゆう行動が評価される。ということも、
理解できてくるようになります。卑怯な行動はしなくなります。
後世の武将たちも、
「オレは、あの義家公の血をひいている」と自慢したくなるわけです。
大ピンチの場面、それは、
何代も語り継がれ、数代のちに結実する「チャンス」でもあるのです。
今の収入や繁栄よりも、
「歴史に、自分の行動が、どう刻まれるか?」
※
最近のニュースだと、ジャニーさんの死後の一連もありながら、、
こうゆうことは、大事だなー。と思うのです。
2023年9月17日 20:33
前回ブログの根底にある原則。
自分が「消費者」となって商品を買うとき、
絶好の勉強の機会である。
消費者の立場になれる。
カスタマーの立場から発想できるようになるチャンスです。
まわりを見て、誰が、何を買っているか?
それは、何故なのか?
スタッフさんは、どんな接客をするのか?
凄いな!と思う点、不満に思う点。
この店が、支持されているポイント。。
「買い」ながら、
自分の仕事で扱う商品を「売る」ときのことを考える。
買い手と売り手、両方の立場になってみる。
ここが、たいてい「分離」する人が多い。
単なる「消費者」で終わる。
「消費だけ」に楽しみを見出していては、資本主義の奴隷になるだけである。
消費者として買いながら、
立場を置き換えて、
自分の仕事で扱っている「商品」を売ること=生産・販売することも考える。
買い手になれば、売り手にして欲しいことが、わかる。
こうゆう消費できる人のことを「スーパー・カスタマー」と呼ぶ。
前回ブログの場合、
「接客レベルの3段階」を知ったうえで、
自分がコンサルティングの依頼を受けるとき、こんな接客ができているかな?
と、考える。
「希望の鞄を、全種類、集めて並べてあげる」って、
「他のコンサル会社のことも比較して、教えてあげる」ってことだよなー。とか。
クライアント先のスタッフさんは、こんな接客ができているかな??
どこを、どう変えれば、できるかな??とか、考える。
たとえば、
ホテルでのお食事。この雰囲気の良さの理由は、何か??

天井が高いって、いいよなー。
店内に緑があるって、いいよなー。
外の景色とつながってるように感じるのは、いいよなー。
円形のレイアウトや、適度な段差も、理由かな?
こんな感じで、十分なので、初めてみては?
2023年9月16日 21:23
仕事用の鞄を求めて、
百貨店のビジネスバッグコーナーに行ったとき、
接客を受けてみて、勉強になったこと。
<私の要望>
・出張にも使える大容量「3WAY=手提げ、肩掛け、リュック」が欲しい。
・毎回「肩掛けベルトと本体をつなぐ器具が壊れてしまうこと」が、問題点。
・ブランドはどこでも良い。どのメーカーでも良い。
・軽くて丈夫。見た目も、かっこいいものが欲しい。
接客スタッフ・一人目
【言葉遣いだけで、逃げだしたくなるスタッフ】
「気になるもんがあったら、ゆうてねー」と、声をかけてきた。
「あ、はい~」と言って、逃げるように、この店員のもとを去る。
本当は、売場自体から去ってしまいたかった。
・・・
ここ一応、百貨店でしょ。百貨店も人手不足か??
しかし、採用してしまってはいけない人もいる。基礎教育も必要だ。
言葉遣い・態度だけで、売上を下げてしまうスタッフがいる。
接客スタッフ・二人目
【自分の売りたいものを、売るスタッフ】
自分で鞄を手に取って調べていると、別のスタッフが近づいてきた。
その商品とブランドの説明を、一生懸命してくれる。
他の気になる商品のひとまわり大きなサイズがないか、聞くと調べてくれた。
が、「つい先週、全店舗から在庫が切れてしまった、取り寄せもできない」
・・・
自分が売りたい商品、客が手にした商品の説明を完璧に行うスタッフ。
標準的な販売レベルは、こんなところであろう。
接客スタッフ・三人目
【相手の要望を聞き、課題を解決するスタッフ】
(帰りに別の店に寄ってみて、それでもなければネットで買おう!
そのときの材料を調べておくために、少しだけ、さっき見た商品を確認しておこう)と見ていると、
別のスタッフが、説明をはじめた。
「誰が、どんな目的で使うバッグですか?どうゆうことで、お困りですか?」と聞いてきた。
そして、各ブランドの売場の中から、3WAYの大容量バッグを、すべて集めてきてくれた。
手元で、金具部分の強度を中心に、軽さ・素材感・収納力。。比較して、調べることができた。
・・・
結局、このスタッフさんから、買うことになった。
相手の今、解決したいこと。背景を知ること。そのうえで、選択肢を提示してくれること。
平均よりも少しだけ高い収入を得たいなら、(会社的には、ネットに負けなくないなら)
これくらいの接客はしければならない。

新しい相棒と、本日も仕事です。
2023年9月10日 20:36
高校の在校生・卒業生の口コミ情報サイトを調べてみると、
大きな法則が発見できます。
偏差値の高い高校は、口コミ評価の点数が高く、
偏差値の低い高校は、口コミ評価の点数が低い。
偏差値と口コミ評価点数は、比例している。
なぜ、そうなるのか?
5つの仮説が、思いつく。
1<自分のせい/他人のせい>説
偏差値の高い高校の生徒は、努力して、道を拓いてきた。点数は自分次第という思考ができている。
偏差値の低い高校の生徒は、他人(校則、先生、施設、校風、同僚)のせいにして、低い点数をつける。
2<苦労して手に入れたものは価値が高い>説
人間、苦労して手に入れたものを、悪いものと思いたくない。
だから、苦労して入学した高校には、現実よりも高い評価をつける。
深く考えず、入れるところにすんなり入学した人は、フラットな立場で評価する。
3<校則がゆるい/厳しい>説
偏差値の高い生徒は、自主的に規律を守れる。責任のある自由=リバティがわかる。
だから校則が最低限で良い。反発が少ない。
偏差値の低い生徒は、際限なく、無秩序で勝手。責任のない自由=フリー。
だから締める。すると、反発する。
4<長期的打算/短期的感情>説
偏差値の高い生徒は、自校の口コミ点数は、
将来、自分の経歴に影響を及ぼすことを計算して、高い点数をつけておく。
偏差値の低い生徒は、そこまで考えが及ばない。
目先の好き・嫌いで生きている。一時の感情で点数をつける。タトゥーを入れることに似ている
5<今の自分への評価、深層で自己投影>説
偏差値の低い生徒は「今は、1~2点だけど、これから、4~5点になる」という可能性
「=自分の伸びしろ」を残した点数を入れる。自分でも気づかないうちに、自分を投影している。
偏差値の高い学校の生徒の高評価も、「学校」というよりも、今の自分自身への高い点数である。
さて、どれが、当たっているでしょうか?
どれも、正解な気もします。
この5つの説を統合する根本的な答えとは、何か?
皆さんは、どの説をとりますか?
自分が高校生だったとき、自分の高校に何点をつけますか?
その他、さっと調べてみてわかったエトセトラ所感・・・
1)この傾向は、都市部において顕著。地方においては、ゆるやかである。
地方出身者のほうが、社会に出てから活躍できる素地、所以かもしれません。
2)「偏差値が高いのに、口コミ評価が低い」という高校も存在する。
特進コース、体育コースを設けている私立の高校に多い。
偏差値(=学校経営)維持のための詰め込み教育・階級・分断の弊害か?
大人の経済的エゴ。を、感じとるのか?
3)コンサルタント的視点からすれば、
「偏差値が低くても、口コミ評価が高い」というカテゴリーには、
新規マーケットがありそう。そうゆう学校を作れば、市場を切り崩せる。儲かる。
マッピングして、このポジションに近いモデルになりそうな学校の取り組みを調べれば、
答えは出てくる。
勉強しない=楽しい!満足。
というわけには行かないのが、世の中のようです。
ちゃんと体系的に勉強する人のほうが、生きている満足度が高い。