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天心と武尊と。辰吉と薬師寺。。チャンピオンを目指し続けて

スポーツネタ、あとひとつ。
キックボクシング、那須川天心と武尊(タケル)の試合より。

団体が異なるため、交わることのなかった
最強の2人が、その垣根を超えて対戦。

一歩も引かぬ、とても良い試合でした。

この試合を観戦して、思い出したのが、
1994年のボクシング、辰吉丈一郎対薬師寺保栄。
初の日本人同士の世界戦の大激闘。この試合に匹敵する良い試合でした。

で、「辰吉・薬師寺」のYOUTUBE動画を、もう一度観た。
天心・武尊の3Rの激闘状態が、ずーっと12R続くのである。

辰吉は52歳の現在も、世界チャンピオンを目指して、
当時から所属しているこの大阪帝拳のジムで、トレーニングを続けているそうである。

自宅は大阪市内。朝、ロードワークをして、犬の散歩、洗濯をした後、
昼からジムでトレーニング。。という毎日を送っているという。

いつか会えないかなーと思いながら、
ボクシングファンなら誰もが名を知る「大阪帝拳」の前を通る。

あの試合当時(大学生のころ)は、どちらかと言えば、アンチ辰吉派で、
薬師寺を応援していたけど、
今は、ダントツ、辰吉派である。

ジム経営、トレーナー、ユーチューバー、タレント・・・
有名ボクサーの引退後にも、様々な道があるなか、
困難を乗り越え、いつまでも、個人としての最強の男を目指し、
その仕事をずっと続けること。
そこを、尊敬し、共感している。私もコンサルタントとして、最強の男を目指す。

当時、勝っても負けても、多くの人の心をとらえていた理由が、
今になって、やっとわかった。
そして、生き様によって、今さらファンになっている。
唯一無二の存在である。
(会ったことないから、よくわからないけど・笑。イメージの中で)



圧倒的な力には、敵からも称賛の声

友人に誘われ、野球観戦。大阪ドームに見参。

タイガース快勝!みんな、気分よく帰る。
この日、一番の盛り上がりは、大山選手の特大アーチ。
(今年は、プレッシャーに打ち勝ち、覚醒して欲しい!)

その次に盛り上がったのが、明日の予告先発の発表の場面。
オリックス・山本由伸投手の発表があった瞬間です。
オリックスファンからだけでなく、
敵チームである阪神ファンからも、おおおーーーっと、歓声が上がり盛り上がる。

圧倒的な力を有する人は、敵方からも畏敬の念をもって称賛される。

他に、気になったこと・・・色々。
・佐藤輝明の打球スピードは、本当にひと味違う。
・近本に粘りとしつこさが出てきた、何とか塁に出たいという雰囲気が士気を上げる。
 責任感の芽生えか?
・藤浪は、近年不振ながらも・・・・とにかく阪神ファンは藤浪のことが大好きである。
・オリックスの若手・紅林選手には、今後も注目。
 以前のブログのテーマにした「登場曲」が顧客志向である。
 =荻野目洋子のダンシングヒーロー。

・しかし、球場の内野フェンスの高さと幅は、なんとか、もう少し小さくならないものか?
 日本的・観客保護のためでしょうが、そこは本場アメリカを習って、
 自己責任の要素を高く、選手と一体で楽しめることを優先しても良いのでは?
 今は、まるで「動物園」のようである。



年内までは、随分と暴れて御覧にいれる。しかしながら・・・

我が愛する「天下一品」のラーメンも、値上げ。
定食類が全て1100円オーバーとなってしまった。

葬祭業界も
資材仕入れ価格の高騰が止まらない。
おまけに、求人難による採用費も上がっている。

コンサルタントしての作戦立案は、できている。
ここ数か月~年内に実施すべきことについては、自信がある。
しかし、その先・・・となると、確信が持てない。

連合艦隊司令長官・山本五十六が、
開戦前、対アメリカ戦争の見込みを尋ねられた際の返答。
この心持ちと同じである。
↓↓
「初め半年か1年の間は、随分暴れて御覧に入れる。
然りながら、2年、3年となれば全く確信は持てぬ。
三国同盟が締結したのは致し方ないが、
かくなりし上は日米戦争を回避するよう、極力ご努力を願いたい」

ちなみに、
山本五十六の言葉は、こちらのほうが有名である。
↓↓
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」
もちろん、名言中の名言である。

が、
今、私の心境には、一般にはあまり知られていない上記の言葉が、ぴったりはまる。

覚悟を持って、ご支援先とともに、臨みたい。



老舗の好印象の刷り込み戦術~お口にあいましたか?

ご支援先とのランチタイムより。
何度か、お伺いさせていただく老舗料亭。

店主さんも、スタッフさんも、
お膳を下げるとき「お口に合いましたか?」と、毎回、聞いてくれる。
毎回、同じフレーズで、
どのお客様にも聞いている。

お客様が、悪い事を言うはずがない。

お客様の満足度を上げると同時に、
お客様の脳内に「良い店だった」「美味しかった」というイメージを刷り込む。
口コミ発生の素を作り出しているのである。

食後のコーヒーを持ってくるとき、
デザートの1枚ものパウチ・パンフレットも、持って回っている。
「ご一緒に、デザートはいかがですか?」
抜かりもない・笑

老舗であることにあぐらをかかず、
いや、永く支持されるお店であり続けることの一因を感じる。

 
「良いお葬式ができましたか?」
「きちんと別れができましたか?」
今すぐできる、満足度向上&企業永続化方法である。

まずは、2ヶ月限定で実施してみては?

・・・・
前回まで複数回に渡り、自分の過去ばかり書いたお詫びに・・・
誰でもできる、ちょっとしたノウハウ披露の回とさせていただきます。



初受注・四国ツーリングの後日談

その後、四国で
海岸に手頃な岩場があれば、潜って魚をモリで突き、
龍馬に会い、慎太郎にも会い、
海沿いのサラブレッド牧場に迷い込み、
馬と一緒に、パンツ一丁でシャワーを浴びてた牧場主のおっちゃんが、
波打ち際を、暴れん坊将軍みたいに、馬に乗って調教する姿に、感動して・・・
(白のランニングシャツと白パンツ一丁の“暴れん坊将軍”である)

愛媛から夜行のフェリーで大阪に早朝、戻る。
<長距離フェリーの楽しみは・・・日のあるうちに、大浴場に入ることだ!最高に気持ちいい>

大阪に戻って、さっそくその日の昼、出社すると
机の上には、どかーーん、と、山積みの書類。。。
休んだ分、やれ!!というメッセージである・笑
・・・そこのとこの容赦も、遠慮もない。。
よしよし・・・休んだ分、やったる!

中西さん、戻ってきたね!ポンポンポン(肩を叩く)
「旅に出たまま、もう帰って来ないかも・・・」って、心配してたんだよー。
と、2つ上の優しい先輩。(休んでしまって、ご迷惑をおかけして、本当、申し訳ないです・・)
 
 
GWが明けた、全社会議の日、
ボクシング・川島のサインを渡すために、
ベテランの先輩のデスクに行ってみた。

入社後、初めて会った、ギラギラ系・メガネのおじさん。
後に、船井最大のパチンコチームの領袖(ボス)となる人である。
事情を話し、サインを渡すと、
「おー!そうか、そうか、ありがとう」と言って、
私の目の前で、すぐに、お礼の電話をかけ始めた
「あーー、どうも、どうも、船井総研の○○ですー」
「今、若い衆から、サインを届けてもらいましてね・・・・」
・・・
「ええ、ええ、じゃまた、よろしく!」

なんだか、かっこいいなあー。
⇒即時処理。&部下の目の前でお手本を示す。ということである。
学ぶことが、たくさんあった。

と共に、
今も、電話の向こうに広がっている
四国の大らかな自然と、人のあたたかさを思い出し、
今、自分は「修羅の現実」に戻っていることを、最も実感した瞬間である・笑。

学生の気分を、ここで、本当に完全に断つことができた瞬間。とも言える。



社会人1年目・コンサルタントの卵ノート

大阪を出るとき(夜、寝るときにでも、読み返して、勉強しよう)と、
リュックにいれておいたことが、
受注の役に立った(かもしれない)ノートは、こんなノートである。

普段の日常では、ノートを読み返す時間すら、もったいない
(そんな時間があれば、風呂に入りたい、寝たい)そんな1ヶ月間。

ツーリングに出かけるとき、
これはプライベートの時間ですから。。と、分けてなかったところが、偉かった!笑

入社時から、ずーっと、書き溜めていたノートは、
ノウハウ満載です。
今、見返しても、参考になることが、たくさんある。
しょうもないことも、多いけど・笑

激務の中でも「業務」だけに埋没せず、
単なる「コマ」になることなく、
「コンサルタントとしてのノウハウ」を吸収しようとしていたことが、よくわかる。
まだ存在せぬ、いつか出会う、クライアントのお役に立てる情報をまとめていた。

自分が「一人前の仕事」ができるようになるためのメモを書いていた。

「作業」のためのメモは、一切、見当たらない。
ソフトの使い方がどうとか、名刺の渡し方がどうとか、
○○さんの仕事をどうするとか、何かの手順だとか、そうゆうことは、書かれていない。
※何か別のノートにつけていた(・・・と思うんだけどな・・・そう信じたい・笑)

入社して1~2年目くらいまで、
やり手の先輩方から「おまえの最近のノートを見せてみろ」と、言われていた。
見せると「甘いな!レベルが低い!」って、ボコボコにされる・・・
それが悔しいから、もっと価値ある内容を、工夫して書いておく。

でも、今、見返すと・・・
きっと先輩方は、オレのノートが参考にもなるから、見たかったんだろうなー・笑
って、思うくらい、頑張っていた。

良く勉強していたな。その姿勢がええわ。
22歳のこうゆう青年がいたら、間違いなく、採用する。

「すげーな、オマエ、必ず、伸びるよ」って、声をかける。



会社=ステージ。個人の力=そこで演じてお客様を会社に呼ぶ

酒販店に到着して、
3たび、入社してからの1ヶ月のことを話す。
この日、3度目の公演。さすがに、自分でも飽きてくる。

で、たとえば、このお店ならば・・・ということを
「先輩方がやってること(やっているで、あろうこと)」と
「自分が下働きでやっていること」に分けて、そのままを、お話しした。

入社後からつけているノートを持って、旅に出ていたので、それも、見せた。

先輩が、クライアント先でヒアリングしている(であろう)内容を、聞き取りした。

すると、コンサルティングを受けたい。という話になった。が、
どうすれば良いのか、わかならいので、
いったん、名刺を交換して、後日連絡ということに。

すっかり夕方になってしまい、
「これからどうする?」「ここに泊まっていけ!」というお誘いを、
お気持ちのみ、ありがたくちょうだいして、室戸岬に向かう。

その前に・・・約束の「定時連絡」を会社に入れなきゃならない時間。
緑の電話ボックス。テレフォンカードを入れて、電話をかける。
ものすごい勢いで、テレカの度数が減ってゆく・・
(当時、船井総研はフリーダイヤル契約すら、していなかった・笑)

 
1つ上の先輩が、祝日にもかかわらず、やはり、出社していて、電話に出てくれた。
「えーーーー!?今、四国なのー??」
「実は、明日、来てもらおうと思ってたんやけど・・・」
(↑大阪を離れて、正解や!笑)

でも、
コンサルティングを受注できそうだ。という話をすると、
ちょっと、空気が変わった。その先輩よりも、先に受注する訳である。
「それは・・・○○さん(=猛者上司たち)に連絡して、行ってもらうようにしたほうがいいね」「伝言ノートに書いておくよ」

というわけで、
主任の先輩にくっついて、支援同行させてもらうこととなり、
依頼書の「担当者」欄に、主任と私、2名並列で、名前を書いてもらった。
これが入社1年目、入社して2ヶ月目での「初受注」である。

 
初受注は、
会社の力で、仕事がとれたのか、
個人の力で、仕事がとれて会社に貢献できたのか??

80%は会社の力である。
でも、20%の個人の自力と運で、お客様と出会えた。

偶然に、偶然が重なった、まがいなりの初受注は、
・自分自身が、何かしら動くことで、仕事にありつけること。
・仕事もプライベートも境目なく、過ごしていれば、必ずチャンスは巡ってくること。
・会社をステージとして、自分が演じて、お客様を満足させること
(会社から仕事をもらうのではない、自分が会社に仕事を持ってくるんだ。それができなきゃ、一生、ハードな下請け仕事)
そんなことを、学び体験しました。

当時は、なんとなく感じていただけ。
だんだん、こうゆう体験が生き方として、沁みついてくる。

会社にかかってくる電話を、ひたすらとり続ける。とか、
先輩からどこかクライアントを譲ってもらう。とか、
誰かにお膳立てしてもらって、仕事をもらう。とか、そうゆうスタイルではない、
実力が無いなりにも、少しだけ
自分のスタイルが通用したことが、嬉しい初受注の体験でした。



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