同志社側から見た「京大の聖地闘争」はプロレス!?
京都の街には、東側・縦方向に「鴨川」が流れている。
京都の市内の北エリアを横方向に走る「今出川通り」には、
この「鴨川」を境として、
西側には、同志社大学。
東側には、京都大学。がある。
同志社学生は、基本的に、鴨川の東=京都大学のテリトリーに入ることはない。
ボリューミーで美味しい定食屋があったとしても、
「川」という地理的分断要因と、
「学校」という所属&階層的分断要因により、立ち入ることが少ないエリアなのです。
この京大生テリトリーの中でも、特に「ヤバいエリア」が存在する。
同志社側から見れば「京大の最も京大らしい場所」・・・
京都大学の左翼系学生たちが住んでいた(今もいる?)学生寮「吉田寮」である。
私が学生当時、ドキドキ探検に行ってみたころと、ほとんど同じ風景である。
古い木造建物に、物が放置された庭、洗濯物、ニワトリ(=締めて、食糧とするらしい)、
入口には、過激派?的な看板やポスター「ゲバ字」といわれる手書きで、
「阻止!反対集会」「公安排除」「粉砕」「闘争」「連合」など、
お馴染みの文字が並んでいた。
今となれば(こうゆう場所いいなあ、寮生活もいいなあ)と思えるが、
それは「今のこの生活に戻ってこれるなら」という前提である。
ちなみに当時20歳前後の私は、こんなところに住むのは「絶対イヤ!」だった。
(変な友達が住んでて、時々、遊びに行く)くらいが理想であった。
何年も前「吉田寮・取り壊し決定」のニュースが流れていた。
(おおー、もったいないなあ~!時代の終わりだなあ)なんて思っていたら・・・
なんと、まだ、存在しているではないか!
驚いたー!!!
(そうか、頭の良い京大生の反体制派の巣窟、、ナメたらあかんな。。)
寮の近くのレストランにて「吉田寮通信」なるのものを見て、健在を知る。
こうゆう時代に、ちょと嬉しくもある。
立ち退き裁判で、大学側と争っているのね。
「実は、これ、プロレスみたいなものです」
と、京大出身の知人が教えてくれた。
つまり、双方、相手が完全に倒れるまで、徹底的に本気でやるつもりはない。
大学側も築100年の耐震に問題のある建物を放置しておくわけにはいかない。
形式的に、何年間も戦っている。
「潰す」「潰すな」とやってること自体に大義名分と価値がある。
どうやら、そうゆう模様である。
「プロレス」とは、争いながら、闘いながら、双方で作品を作っているものである。
※つづく