top > 2023年 > 10月 > 14日


名こそ惜しけれ。鎌倉権五郎

もうひとつ、このときの歴史を書き留めておく。
こちら「鎌倉権五郎」ゆかりの建物。

源義家軍の16歳の若武者であった。
戦いの中、矢が目に刺さる。刺さったまま戦い続け、逆に敵を討ち取る。
苦しみながら自陣に帰ったところ、
従兄が、その矢を抜いてやるために、権五郎の顔に足をかけた。
すると、権五郎は怒り、従兄に斬りかかった。

その理由は、こうである。
「武士だから、矢が刺さり死ぬのは本望である。
しかし、生きたまま土足で顔を踏まれるのは恥辱である。お前は敵だ!」
従兄は、謝り丁重に矢を抜いた。

今の常識で考えるならば、笑ってしまうような事件である。
今、こんなことで怒ったら、単なる「ややこしい男」である。
怒るとしたら・・・(痛い!!お前の抜き方、下手すぎるやろ、痛いねん!!)
「肉体的な痛み」に対して、怒るかもしれない。

鎌倉権五郎のエピソードは、
「名こそ惜しけれ」という坂東武者・鎌倉武士のモラルと心意気を端的に示している。
以来、日本人の心根に流れる精神の源である。

「名」というのは、自分の名前。
自分の名前を傷つけるような「恥ずかしいことはするな」ということ。

司馬遼太郎さんは、この「名こそ惜しけれ」の精神を
「今も、一部の清々しい日本人の中にある」と表現した。

何とかその「一部」に、引っかかっていたいな。。。

もちろん、私は、公明正大・清廉潔白な人間ではない。
人に言えないようなことも、たくさんある・笑
ただ、以前のブログでもお伝えした
「He is not a good man ,but a fine man」
=彼は「良い男」ではない、しかし「立派な男(真の男)」だ。的には、生きてゆきたい。

鎌倉市街地には、権五郎を祀る「御霊神社」があり、
歌舞伎の演目としても、演じられている。
確かに、、仕事で関わる皆さんを思い返しても、
東の人物のほうが「名こそ惜しけれ」的思考をされる方が多い。



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