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農場経営 憧れの本店づくりと、商品化

ラベンダーと言えば、富良野。
富良野と言えば「ファーム富田」である。

20年ぶりに行ってみて、驚いた。

20年前「ファーム富田」のラベンダー畑があった場所は、
全敷地の中の一部の駐車場として使われていて、
周辺の土地の全部が「ファーム富田」になっている。
どうだろう・・・
敷地面積は、5倍くらいになっているだろうか?

直営の売店やレストランも立ち並び、
今や「ラベンダーのテーマパーク」と化している。
以前は、ちょっとした小屋に売店があっただけである。

余談ですが・・・
広大な敷地の隣には、
「富田メロンハウス」という大きな施設もできていた。
一見すると(おおーー。メロン事業にも進出ですかーー)としか見えないが、
現地でちょっとした「違和感」を感じて、
ネットで調べてみたところ、
まったく別法人の経営らしい。仲は良くないようである・笑

とにかく「コバンザメ」が寄ってくるほどに、
農場経営においても、躍進している会社が出てきた。

キーワードは、「商品化」であろう。
(ラベンダーのオイルは、自宅でも使っていた)

しかし、
単に「商品」を作っただけでは、売れにくい。
いわゆる「憧れの本店」巨大テーマパークとセットであることが、
商品が売れるかどうか?という
「偶然」を「必然」にしている。



経営と「血脈」・・・生物学・歴史学・経営学の共通項

競馬は、「ブラッド・スポーツ」とも呼ばれる。
そこも、魅力のひとつである。

そして、私は「血=DNA」について、
様々な種の生物=生物学と、
歴史上の国々・家々の栄枯盛衰=歴史学と、
会社の栄枯盛衰=経営学を、好きで研究していて、
この結果、類似であると思っていて、、ちょっと、小うるさい。笑

先日のブログにあるように、
競馬の世界で「勝てる馬」を育てるためには、
内部で脈々と・・・というスタイルで、成功するのは、本当にレアケースである。
「強い馬」を種牡馬として、輸入してくるほうが、結果として、勝てる馬が、生まれている。

有名なところでは、社台グループが輸入してきた、
サンデーサイレンス。
古くは、ノーザンテースト、リアルシャダイ、トニービン。。

日本の国内産馬で成績を残し、活躍した馬の血脈も、
その血が残るのは、良くて2代である。大多数は、1代限り。

私の知る範囲で、ざっと紹介すると・・・
シンザン →ミホシンザン ・・・(以降、続かず)
トウショウボーイ →ミスターシービー ・・・(以降、続かず)
シンボリルドルフ →トウカイテイオー ・・・(以降、続かず)
ニホンピロウイナー →ヤマニンゼファー ・・・(以降、続かず)
ステイゴールド →オルフェーブル →??(まだ、わからない)
キングカメハメハ →ロードカナロア →??(まだ、わからない)

稀に、3代続いたケースもある。
アンバーシャダイ →メジロライアン →メジロブライト ・・・(以降、続かず)
メジロアサマ →メジロティターン →メジロマックイーン ・・・(以降、続かず)
今、こうしておさらいすると、
「メジロ牧場」の「執念」が、如何に凄いものであったか・・・を、改めて、知る。

オグリキャップも、ミホノブルボンも、ナリタブライアンも、、強かった馬でも、
後継馬が勝てなかった場合は、血は残らない。
最近なら、テイエムオペラオーも、あのディープインパクトだって、
次の世代が、種牡馬として活躍するかどうかは、わからない。

生物学の見地からも、
歴史学の見地からも(これは、以前のブログでもお伝えしている)、
優秀な血脈が、2代、3代続くというのは、
非常に難しいことなのです。

会社=法人「法的人格」として見たとき、
同族血脈を、2代・3代と続けてゆくことも、如何に困難なことであるか?
という証明です。
オーナー中小企業が、これに、チャレンジするには、生半可な気持ちでは、通用しない。
血=DNAを、のちの「育つ環境」で、自らバシバシ鍛え続けるしかないのである。

また「法人」が、何代にもわたり、勝てる状態を続けるには、
「外部からの血」をいれることは、最も合理的判断である。
オーナー企業では、優秀な娘婿が後継して、躍進する法人がある。
※ただし、娘さんの眼力による。
大きな法人は、創業家血脈以外の優秀な社長に経営を任せて、好成績を続けてゆく。
いわゆる、「資本と経営の分離」というものである。

何代にもわたり、勝ち続けることが宿命であるサラブレッドの血脈と、
過去の国々、家々の血脈と、
「経営の血脈」は、まったく同じである。



特別な人しか買えないものから、誰でも買えるものへ。偶然を、必然に。。

20年前の馬産地と、現在の馬産地が、大きく様変わりした点は、
名馬たちの管理が厳重になったこと
=名馬と近くで触れ合うことは、ほぼ不可能に近くなったこと。
だけではない。

牧場にも、企業化の波が押し寄せ、
組織ぐるみで「勝つこと」「顧客志向」を追求した牧場が、大躍進している。

2000年代以降の20年間は、いわゆる「社台グループ」が
生産牧場ランキングの上位3位までを、ほぼ独占する状態が続いているのです。

1990年代まで、「名門」と言われていた牧場に、今、その面影はない。
調べてみると、廃業したり、売却したり・・・という牧場が、半分以上。
当時、名門と言われていたのは、
メジロ牧場
シンボリ牧場
バンブー牧場
トウショウ牧場
西山牧場(ニシノ)
谷岡牧場(サクラ)
カントリー牧場(タニノ)
谷川牧場(シンザンを生み出した)
荻伏牧場(「華麗なる一族」の系統)等々。。
その名前を冠名につけたサラブレッドが躍進し、ある種の「ブランド」になっていました。

1990年代までの名門牧場の共通点は、
このようなものでした。
1)血の配合により、偶然、強い馬が出て、その牧場を引っ張る。
2)自分の牧場のなかで、良血を受け継がせ続ける。
3)ごひいきにしてくれる有力馬主(お金持ち)を抱えている。あるいは自分自身が馬主。

これを、「社台グループ」は、どう変えたか??
※あくまで、外部から見ていた私見である。完全な研究はできていない。。

1) については、
生まれてからデビューまで、牧場で過ごす仔馬のころから「英才教育」を行う施設や、プログラムを整えて「血による偶然」を「トレーニングによる必然」に近づけた。もちろん、血の配合の研究は、どの牧場でもやっている。
2) については、
海外から積極的に良血の種牡馬を受け入れる。牝系よりも牡系重視。
3) については、
いわゆる「一口馬主」制度を強化、提携を積極化して、一般消費者が、誰でも馬主になれる仕組みと、そのサービス面、販路を拡大した。

「偶然を、必然へ・・・ハードとソフトの組み合わせ」
「血は内部で完結させず、外部からの血を入れる」
「高級・高価なものを、大衆向けに小口化する」

一般企業の経営に通じるものがある。

そして、
社台グループ総帥 故・吉田善哉氏は、
3人の息子に、3つの独立した牧場を分社化させ、受け継がせた。
この3人の息子の3牧場が、
現在、生産牧場ランキング上位3位を、20年間にわたり、ほぼ独占しているのである。

社台の創始者は、優秀な後継者を育てた。
これも、一般企業の経営に通じることである。
自らも優秀な種牡馬であり、育成ファームであり、小口化したのである。



名馬に出会うツーリング

北海道ツーリングのうち、3分の1の時間を費やしたのは、
名馬に出会う牧場めぐり。

一番上の写真は、引退発表の翌日のトウカイテイオー。
在道中、スポーツ新聞で、引退を知って、
急きょ「二風谷」の牧場を人づてに探しまわって、やっと会う。
「帝王」の風格ある佇まい。簡単には、近寄ってくれませんでしたが、、
何とか、この距離で、記念撮影できました。

現在では、名馬たちの繋養先は、
観光地として管理され、遠くからしか見ることができませんが、
当時は、そこに注目する人も少なく、まだまだ、大らかな時代でした。
(本当はやっちゃダメだけど・・心ゆくまで、近くで触れ合うことも、たくさんできた)

牧場に、そーーーっと入って、仕事しているおじさんに聞く。
「すみません・・・
 ここに、スーパークリークがいるって、
 聞いたんですけど・・・」
※牧場では、素人には、「馬は、馬」にしか見えず、
 見分けがつかないから、こうして尋ねるしかない。
※種馬は、別の囲いに1頭だけ、入れられていることが多い。。

牧場に、観光客なんて、
ほとんど行かなかった時代だから、
厩務員さんの人柄次第で、
わざわざ、こんな風に撮影ポーズまでしてもらえることもあった。

西山牧場にて、ニシノフラワーと。

シンザン、ミホシンザン、エリモジョージ、タマモクロス、ミスターシービー、オグリキャップ、イナリワン、アイネスフウジン、リンドシェーバー、サクラユタカオー、サクラチヨノオー、サクラホクトオー、ニシノライデン、ニホンピロウイナー、メジロマックイーン、メジロライアン、ニッポーテイオー、ミホノブルボン、イブキマイカグラ、ハギノトップレディ、アドラーブル、シンコウラブリイ・・・そして、夏の休養中のライスシャワー・・・もちろん、テンポイントの墓も。。

たくさんの名馬の牧場を訪問していました。
(まだ、昔話が、つづく)



仕事することの「覚悟」・・・思考確立は「対極」からも取り込む

入社前から、いわゆる「ブラック企業」の呼び声、高かった??笑
のが、前職のコンサルタント会社・船井総研である。
もっとも、当時「ブラック」という言葉はなく、
単に
「めちゃめちゃコキ使われる」
「ほとんどの新入社員は、辞めてゆく」
「休みがない」会社。。と言われていた船井総研に
自ら望んで、第一志望として就活して、6月で内定をもらっていた。

クソ・生意気な22歳だったはずだけど・・・
さすがに、働くことへの不安はあった。
「俺が、そうゆう会社で、やってゆけるんだろうか?」
「生き残れるのかな??」

でも、夏の北海道ツーリングを通して、ある「変な」覚悟ができた。
「コンサルタント会社で、やるだけやって、ダメだったら、
 この北海道のどこかの牧場で、住み込みで、働かせてもらおう・・・」というものだ。

「いや、待てよ・・・
 俺は、牧場でも、通用しない人間かもしれない。夏はいいけど、
 厳しい冬に耐えられないかも。もしも、牧場がダメだったら・・・」

「1年のうち、6月・7月・8月は、こうして北海道を満喫して、
 9月~3月は、都会の高時給バイトで、必死で働く。
 4月・5月は沖縄で、このスタイルもアリかも・・・」

北海道を
「最後、こんな自分を受け入れてくれる場所」
「帰ってこれる場所」と、身勝手に決めてしまったのだ・笑

だから、やれるところまで、頑張ろう!
もしダメだったら、北海道に帰ってくれば、何とかしてくれるだろう!

事実、仕事の物量が大変なときには、
常に、北海道の風景が、脳裏に思い浮かんでいた。

・・・・
夏の北海道のライダーハウスには、
色んな人が集まる。
もちろん、バリバリのビジネスマンが長期休暇をとってツーリングしていたり、
ナイスミドルのカッコイイおじさん達もいる。けど、
大半は、いわゆる「資本主義社会のスピンアウト組」である。
でも、
とても、人間臭くて、楽しい人たちだった。

ツーリングを通して、
最も、相容れない類の人間とも出会う。。。
それは、、夏になると、特定の低価格ライダーハウスにやってきて、
そこの「主」のようになって、
ハウス内の一番奥の良い場所に、自分の私物を並べ、テリトリーを作り、
夏の間中、毎年、ずっと、そこに居座る。
自分のことを「棟梁」などと呼ばせ、毎日、新しく泊まりに来るライダーに、
独自マナー「ここのしきたり」を小言して、
ハウス内で、偉そうなポジションをとろうとする、いい年のオッサン。である。
そして「棟梁」をチヤホヤすることで、
自分の「居場所」や「存在価値」を担保しようとする
「取り巻き」のオタク・ライダーども。。。笑

クソガキ大学生2人組は、
遭遇から数時間で、いち早く彼らを「○○」と見抜き、
バカにしていた。笑
(普遍的な社会の縮図を、ライダーハウスに見ていたわけだ・・)

しかしながら、
一方で・・・ここまでひどいレベルじゃなくても、
「こうして生きる方法もあるんだ」
ということも、理解し、どこかで余裕もできた。

自分が全く相容れない人からも、学び、自分に取り込んでいた。

北海道との出会い、
旅先での人との出会いのおかげで、
社会で生きるための「覚悟」みたいなもの。が、できた。



時間・心の自由な贅沢旅

前回ブログからの続き
・・・
贅沢温泉旅館での寛ぎに匹敵する、自分の中での「贅沢な旅」があったか??
あった! 
その答えは・・

お金は最低限だったし、
普通の宿にすら、泊まらなかったけど、
大学4年生の夏。。友人と2人、バイクで訪れた北海道ツーリングである。

行く先も、泊まる場所も、決めないで、
とにかく、思いつくままに、北海道の色んなところに行った。
いつ帰るとも、決めていない。

「明日、どうするーー?」
「ここ、面白そうやから、行ってみよっかーー。」
そうゆう毎日を、約2~3週間、過ごした。

宿は「ライダーハウス」という、
地元の方が、無料~1000円程度で提供してくれている
簡易宿泊施設。全員ゴロ寝。
トイレ付き、時々シャワーありで、泊まることができる小屋である。

当時は、スマホも、ネットもないから、
ライダーハウスや、名所で、出会う人たちに
「このあたりに、泊まれる場所、ないですか?」
「どこか、行って良かったところってありますか?」と、
その都度、情報を仕入れて、地図やメモを頼りに、目的地に向かう。
宿が見つからない場合は、無人駅の待合室で野宿になる。

朝ごはんは、ライダーハウスの世話好きな誰かが、作ってくれたりすることもある。
オーナーが、おにぎりを準備してくれるところもある。
コーヒーだけで済ませることもある。

昼ごはんは、
北海道限定のコンビニ・セイコーマートのお世話になることが多かった。
景色の良い川や海や山の景色を眺めながら、コンビニ弁当を食べる。

夜ごはんは、店探しの「嗅覚」が問われる。。
ライダーハウス近辺の良さげな定食屋を、調べておいてから、
ライダーハウスのオーナーに「この店、どうですか?」と尋ねる。

北海道の人は、
とにかく、みーーんな、大らかで、温かく、優しかった。
「良く来たねー」という精神(自分たちで切り拓いた、開拓者の精神)が、
根本に流れていることが体感できた。

今、考えれば、
これが、最も「贅沢」な旅だった。

就職前の若者たちに、是非とも、伝えたいことである。

(昔話、つづく)



繁栄・繁盛を作り出す「設計」

・・・最新の繁盛・温泉旅館にて。。

お風呂も、お部屋も、ロビーも、
非常に、考えられた設計されていて、感心することばかりである。。

このインフィニティ温泉(温泉の縁が見えず、自然の景色と一体となったようなお風呂)も
シロウトが楽しめるように、本当に、よくできている。

この「湯船の仕切り」は
深さ:460、幅:230、背もたれ:580、深さ:460
「座って、浸ってよし」
「熱くなってきたら、腰かけてよし」絶妙のサイズである。

とにかく、空間デザインと仕組みの勉強になること多数。

ん??
なぜ、お風呂の中を撮影できるんだ??
いいのか?そんなことして・・・。。

目的達成のため、ちょっとしたアイデア&「抜け道」を使いました!・笑

 
しかも、この旅館は、金持ちしか相手にせず、暴利を貪るリゾートチェーンではない!
必要のない部分については、合理的に削りながら、
ちゃんと満足できるようにしていて、お値打ち価格である。

「高くて、良い」のは、当たり前。。
たとえば・・・「暴利リゾート」チェーンについては、私は、意地悪だから、こう考えてしまう。。
法外な高額宿泊料金の半分くらいは、
「暴利リゾート」が、次に買収するホテルの購入代金が、上乗せさせられている。
(俺が、泊まることのない、全国のどこかのホテルに対して、
 なぜ、いま、ここで、俺がカネを払わなきゃならないんだ?)
あるいは、
苦戦している不採算ホテルの借入返済に回されているんだろう。。なんて。

 
今回、宿泊させてもらったホテルの設計とサービス、料金体系に、
経営に関わる者として、賛辞を送りたい。
そして、このホテルを探してきた自分に大満足。。これが、さらに贅沢気分をアップさせる。

お風呂に浸かりながら、
部屋でゆっくりしながら、
ふと、考えたことがあります。

「ああーーーー贅沢だなあ・・・・」
「この贅沢に勝る贅沢が、仕事以外で、他にあるだろうか??」

 
「うーーん、、あった!」
答えが出た!
(つづく)



コロナ脱出のヒントが名店にあり。社長は現場に!

大阪の大繁盛・お好み焼き店「きじ」
コロナ前なら、常に行列で入れないお店ですが、、
(今なら、入れるかも!)
との目算がまんまとヒットして・・・すんなり入店できました。

スタッフさんも、大勢いる中、
なんと、社長自ら、
注文をとり、焼いてくれました。
名物の「おまかせ」で。

お好み焼きを、食べている間、
うちわの裏に、社長が自ら、さささっと手書きでメッセージを書いてくれて、
お客様に渡してゆきます。


個別のお客様によって、異なるメッセージです。

私の次に来店されたお客様のうちわには、「触らぬ神に、祟りなし」と書いていました・笑

「これは、どうゆう意味ですか?」と、社長に絡んでみると・・・
「今は、コロナに感染するような危ない場所には、行かないほうが良い」
という意味なんだそうです。

 
「いつも行列だから、あまり来れなかった。
 けど、コロナだから空いてるかも・・・と、来てみました!」と、話すと、

「海外のお客さんが、エラいたくさん来てくれてたからなあ~。
 ほんまに、ごめんやでー。
 これをきっかけに、また足運んだってなあー」と、社長。。

この行動や言葉が、
行列ができる名店たる所以ではないか?

名店も、こうやって、イチから再スタートしようとしている。

社長は、
もう一度、現場に出てみよう。
お客様と話してみよう!!

・・・・
ちなみに、社長のお顔は、事前には知りませんでした。。
そのオーラと、スタッフさんとのやりとりを見て、
もしかして・・・!?と思い、尋ねて、やっぱりか・・・と、知りました。



忘れちゃならないこと ~もし自分が経営者だったら・・・

かわいいディスタンスと出会いました!
パウチされた貼り紙よりも、断然、こっちのほうがいいですね。

どうでしょうか?
葬祭ホールでも・・笑
動物ぬいぐるみの代わりに、
菩薩像?如来像?四天王?十二神将??

   
本日は愚痴・・・&自分も気をつけたい教訓です。
 
コロナの真っ只中の4月「きっと大変だろうなー、少し助けてあげよう」と、
マッサージ屋さんに行って、「回数券」を買いました。

「家賃の足しくらいにはなるだろう・・」
「大変でしょうが、乗り切ってくださいね」の気持ちで。

そして、8月・・・
このお店に行って、この回数券を使おうとすると・・
「有効期限が3カ月でして、、期限を過ぎていまして、使えません・・」とのこと。

あちゃーーー!!
やってしまった。。。

しかし・・・あのとき、助けてあげようとしたことが、
仇になってしまった・・・涙

 
実は、
最近、ちょっと似たようなことを、ご支援先の社長が話されていました。

飲食店応援クーポン(先払いの回数券)を、コロナ中の春先に買ったこの社長。。
私と同じ「少しでも助けになれば・・」という気持ちで。

7月、そのクーポンを飲食店で使ったそうですが、、
そのときの店員さんの反応が、
(あ~~。。無料券ですかーー)(お金が入ってこず、残念)的な
雰囲気を醸し出したものだったそうです。

回数券を買った側が
「なんだか、すみません・・・」という気持ちになってしまいました。
でも、困っていたときに、助けたつもりだったのになあ。。とのこと。

 
人は、時間が過ぎれば、記憶が薄れてしまう生物である。
それが、長所でもある。
しかし、、当時と同じ感覚を、忘れてはならないことも、たくさんある。

もしも、
自分が経営者だったら、どうゆう判断や行動をするのか?
という視点で、全スタッフが
「期限切れの回数券」や
「期限が切れていない回数券」への対応ができるようになると、良い会社になる。



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