人間、自分のしたことは覚えている、してもらったことは覚えていない。
夏、中学校の同窓会に130人が集まりました。
高校を卒業し、地元・加古川を離れてから、
一度も戻っていませんので、
16歳のときから、会っていなかった友達ばかりでしたが、
昼から深夜まで、話が尽きることがありませんでした。
色んなことを感じましたが、特に感じたのは、親のこと。
美しい女子が、近づいてきて、こんなことを話してくれました。
「ワタシ、今も地元に住んでるんやけど、犬の散歩の途中で、
いつも中西君のご両親に挨拶してもらっていて・・・」と。
(へー、うちの親、散歩で出会う人に、ちゃんと挨拶してるんだー)
小学校時代からのソフトボールのチームメイトは、
「オマエのお父さん(←ソフトボールチームのコーチしていました)に、
とても面倒を見てもらってたわー。
監督・コーチ陣に、めちゃめちゃに怒られた時、
そっと“気にするな”と声をかけてくれたことを、今でも覚えている」
中学の同級生、昼の弁当仲間。
「中西君のお弁当は、2段になっていて、おかずがとても豪華だったよねー」
「そうそう、俺のタラコは、真っ赤な着色のタラコなのに、
中西の弁当のタラコは、当時から無着色のタラコやったわー」
もっとも・・・・当時の私にとっては、
赤色のタラコのほうが圧倒的に美味しく、憧れてもいたので、
いつも彼に半分、交換してもらっていたのですが・・・。
自分が、全く覚えていなかったり、
自分が、全く知らないところで、
うちの父母、きちんとしているんだな~。と実感した次第。
きっとこのほかにも、
自分が親にしてもらったことは、覚えていないだけで、
たくさんあるんだろう・・とか。
人は、
自分がしたことは、覚えているけど、
自分がしてもらったことは、覚えていないもの。
改めて、
こんな親の元に、生まれ、育ったことに感謝だし、
このような生き方を、自分もしてゆきたい。
親からもらったDNA的な根拠からすれば、できるはず。
かつ、
地元で親のことを、少し知ってくれていて、
関わってくれている同級生たちにも、感謝です。
たまには、実家に帰らなきゃな~。