葬祭業・幸福学Ⅰ・・・幸せとは何か?
数年前、後輩に「将来の夢は何?」と質問したら、
「とっても、幸せになりたいんです」という答えが返ってきました。
あら、あら・・・(笑)
育ちのレベルの違いか、世代間ギャップというものか・・・。
それを、きちんと真面目に考えて・・・こう答えました。
「幸せって、絶対的なものは、ないと思うぞ。
幸せ感じゃない?“感”を大事にすればどうやろ??
ご飯が食べれるとか、海がキレイとか、友達がいるとか」
「俺は、自分以外の人が、
自分の多少の存在によって幸せにできたとき、幸せを感じる。
勝手な自己満足だけど。
幸せって“なる”ものじゃなく、誰かをそう“する”ことじゃない?」
この質問に遭遇するまで「幸せ」について、考えもしなかったし、
それは、幼稚で、他人を操作する言語だと思っていました。
ある意味、とても、新鮮な問題提起でした。
昭和の鬼才・寺山修司も「幸福論」の冒頭で、こう切り出しています。
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幸福という言葉を口にするのは、何か気恥ずかしいものがある。
それは、青春前期の少年少女の用語であって、人生が始まってしまってからは、
もはや、口にすべきものではないと思われてきたからである。
・・・・
幸福の相場を下落させているのは、幸福という言葉を軽蔑している、
私たち自身にほかならないのである。
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みなさんの「幸福」とは、何でしょうか?