絶望×絶望=寛大さ?
戦争、紛争地域のドキュメンタリー報道番組を観ている。
ウクライナ、それに、ガザ。
正視できないほどの凄惨さである。
昨日まで笑っていた子供が、簡単に死んでしまう。
地雷で脚が吹っ飛ぶ光景。
兵士の集会。片腕、片足。両足。片目。。
身体のどこかを失っている兵士が、3分の1くらいはいる。
それでも、戦地を離れ、故郷に帰れるから、どこか嬉しそうな顔をしている。
今、現実に起こっていることである。
映画ではない。
TVのチャンネルを変えると、
日本のバカ・バラエティ番組のオンパレードである。
これが同じ時を生きる人類である。
どっちを観ても「絶望的」な気持ちになる。
ダブルの絶望が襲いかかる。
前回ブログみたいなアホ政治家どもにも「絶望的」となる。
しかし、
国が「平和であること」は、何よりも大切なこと。
「まあ、多少のダメさ加減も、平和が維持できているならいいか・・・」と、
妙な寛大さが出てきてしまう。
絶望のループは、妙な寛大さを生みだす。
良くないことだけど、
それもまた、真理である。
でも、ここから、また「何か」が生み出される。
今回は、ブラックというよりも、
ブルーなブログでしたね。