江戸から明治の士風と、今の働き方について
年の瀬が押し迫まるなか、2016年、最後の出張です。
帰省客の大混雑のなか、移動です。
帰省風景の車中、パソコンで仕事・・・も、なんだか野暮ったいので、
鞄に忍ばせておいた、司馬遼太郎さんの文庫本を読むことに。
写真の内容は、正岡子規の言葉。
「人間は、最も少ない報酬で最も多く働くほど、エライ人ぞな。
一の報酬で十の働きをする人は、百の報酬で百の働きをする人よりエライのぞな・・・」とある。
司馬さんは、この言葉を、子規の言動を記録した遺稿のなかでも
「もっともすぐれたものであろう」と紹介している。
江戸から明治にかけての士風について、他にも記載がある。
「武士には、捕吏がいらないというのは、本当か?」と、朝鮮通信使が尋ねたそうだ。
武士は、縄目の恥辱を受ける前に、切腹する。
「武士は、学問はそれほどなくとも、日ごろから体を鍛え、
いったん国家の大事があれば、命を捧げることを承知していた」と勝海舟が振り返る。
「禄(給料)は、将来の戦死を含む戦場での働きを見越した前渡金であって、
家臣としては、武功をたてるか、討死することで、やっと貸借対照表がゼロになる」
・・・
報酬に対する考え方、
コンサルタントとしての矜持、仕事する人の基本。。。
奇しくも、隣席に「電通の社長が辞任」という見出しが躍る新聞を読んでいる方がいる。
法律がある。
でも、その法律やルールを作った「国」自体が、借金まみれ。
彼らの言う通りにして、会社は、個人は、果たして大丈夫か?同じようになるのでは?
自分の父、祖父、曾祖父の世代に色濃く残る、
日本の士風的思考が、働き方のベースとなり、今、豊かな経済大国になれた。
まず「日本が日本である所以」を、見直して、大切に植えつけたほうが良い。
「社会問題になっているから、当社も規定通りに・・・」などと、
安易にやってしまう会社は、数年後、泣きを見る気がしてならない。
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