歴史的な背景・・・日本一の薩摩武士の現場戦闘力が、今ここに。
上村葬祭さんが、なぜ「日本一の施行力」なのか?
実は、歴史的な背景にも裏打ちされています。
「相手を目の前にした現場での強さ」は、鹿児島県人=薩摩武士の伝統です。
戦国から明治維新にかけて、最強の武士団こそが「薩摩士族」。
古く平安時代には「隼人」と呼ばれた勇猛な人々。
関ヶ原の戦いでは、島津義弘を大将として、西軍につくも「逃げるのは卑怯だ」と敗走せず、
わずか300人の兵で、敵の大軍の正面を突破し、鹿児島まで帰りついた伝説の退却戦。
江戸期も、中央のように官僚化した「サムライ」とは一線を画す、
戦国以来の「武士」の生活を300年間続け、やがて、明治維新の原動力となります。
戊辰戦争、会津戦争、西南戦争でも、無類の1対1の強さを発揮しています。
薩摩武士は、このように教育されてきたそうです。
・言葉よりも、心や行動を重んずる。物事を動かすのは、才略よりも、人格。
・敵に絶対に負けてはならない。しかし、降参した敵には優しくある。
・卑怯・弱いものいじめ・金銭欲・出世欲を、卑しむ。
・無学は、不名誉ではない。議論や弁解が、嫌われ、潔くない人格が、最も不名誉とされる。
「日本一の施行力」の葬祭会社が、鹿児島から出た・・・ということは、
歴史的な視点からしても、必然であり、揺るぎのないものである。
そう確信できるのです。
社員さんとお話ししていても、確かにこんな人が多い。
人間は、風土によっても形成されます。
「コンサルを依頼するのは、決めてるから~」
「値段は、聞かない、いくらでもいい」
「すべて、常務にまかせる。常務と打ち合わせしたことに、口出しはしない」
(関西人では、考えられない)こんな契約依頼のなされ方。
やはり、薩摩士族や西郷隆盛が、現代にも息づいているように、感じます。
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