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公と私 ・・・玉木文之進

人を形づくるには「ルーツ」があります。

吉田松陰の場合、
松下村塾の創設者でもある「玉木文乃進」という、
スパルタ頑固オヤジを、外して、語ることはできません。

吉田松陰は、叔父にあたる「玉木文之進」の、厳しい教育を受けて育ちます。

有名なエピソードをご紹介。

文之進が、畑仕事をしながら、松陰に勉強を教えている。
あぜ道で、幼い松陰が、本を読む。
松陰の顏に、ハエが止まったので、松陰はそれを、手で追い払う。
すると、文之進、ブチ切れて、ボコボコに殴る。

勉強しているのは「公」のため、ハエを払うのは「私」の心。

武士の本分は、国の為に働くことにある。
武士とは、自分のために生きるのではなく、国の為に生きる。
学問を学ぶということは、公の為に尽くす自分を作るためであり、
ハエを払うということすら「私」であるというのです。

かゆみは、私。掻くことは、「私」の満足。
それを許せば、大人になって、私利私欲に動く人間になる・・・というのです。

何ら生産活動をせず、農民、町人のおかげで、生きている武士は、
命を懸けて、住みやすい国づくりを行うものだ・・・という考え方を、持っていたそうです。

「コンサルタント」の本分に対して、
私は、「玉木のオジキ」と、ほとんど同じ考えを持っています。

コンサルタントの本分は、クライアントのために、生きるにある。
365日・24時間、自分のすべての時間を、
クライアントの売上アップのために注ぎこむべきだ。
ずっと、仕事をしていなければならない。

そうゆうことができなければ、
四六時中、経営のことを考えて生活している「経営者」に対して
良きアドバイスを、できるはずがないのです。

では、世の中でコンサルタント以外の仕事に就く人たちは??
基本的には、同じだと思っています。
少なくとも、
お給料をもらっている時間は、すべて「公」のために、尽くそう。
勤務時間における「公」とは、何か?
「公」は、会社であり、
会社の先にある「お客様」と置き換えても、良いでしょう。

もし「玉木のオジキ」がいれば、
勤務中、顔に止まったハエを追い払っただけで、ボコボコだ。
喉か乾いて水を飲んでも、
おケツが痒いとポリポリかいても、きっとアウトだろう(笑)

まさか、今の時代、こんなことで怒り狂う社長はいない。

でも、携帯をいじる、私用を行う、私語で手が止まる、
「このくらいでいいか」と妥協したサービスを提供する、自分が面倒なことはやらない・・・。
こうゆうことは「私」であり、
「公」の時間からは、一切、排除しなければならない。

会社のため、お客様のためになることを、
100%以上の力で取り組むようにしましょう。

 
玉木のオジキ、本当にスゴイ。。。
松陰の後は、日露戦争203高地で有名な「乃木希典」を教育している。

オジキ本人は、松陰の教え子でもある「前原一誠」が、
維新後に起こした「萩の乱」に、
養子を含む教え子たちが参加したことに責任を感じ、先祖の墓の前で自害。
介錯は、大河ドラマの主人公・文の姉さん(寿)=松陰の妹にさせたと言います。

葬儀葬祭業経営コンサルタント中西正人(吉田松陰、玉木文之進)
写真は、乃木希典の実家です。
吉田松陰の周りの、あんなこんなのエピソードが、
空気として伝わってきます。


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